2020年07月22日

【映画】 雨に唄えば 1952年




この映画が好きになって、
内容に詳しくなっていった後で、
この映画で使われていて好きになった曲を
調べたり、音源を探したりしながら、
この作品は、
50年代に、
懐かしい30年代を描いているということを理解したけど、

30年代も50年代も
自分の知らない時代のことで、
その方向性の雰囲気は、
今の私には感じ取ることができない。

ただ、
そんなこと関係なしにいつ観ても面白い。


https://www.imdb.com/title/tt0045152/



この映画の中でいつまでも、
ジーンケリー(Gene Kelly)
ドナルドオコーナー(Donald O'Connor)
デビーレイノルズ(Debbie Reynolds)等の
歌やダンスが輝いている。

”Make ‘em Laugh”は、
私にとって、
ミュージカル映画で最も笑い、最も感動したシーンだ。
思いっきり笑ったのに、
凄すぎてなぜか同時に胸の奥が熱くなってくるような経験をした。

この映画制作時のいろんなエピソードを目にするけれども、
楽しかったとか、ほのぼのしたお話が全然ない・笑

誇張でなく、全身全霊をこめて創られるエンターテインメントが、
何十年ものあいだ、何億もの人を楽しませた。



デビーレイノルズは、
ミュージカル映画史上屈指の名シーンGood Morningの撮影が、
人生で一番つらかったことのひとつと述懐したらしい。

Make 'Em Laughの迫力も、
ジーンケリーのパワハラを
オコーナーが燃料にしたのかもしれない・笑





そして、これを観る。
デビーレイノルズは、
楽しんでいるのか、心の中で辛いのか、
でも、
スクリーンの中ではやはり輝いている、
と私は思う。

I Love Melvin (1953)
https://www.imdb.com/title/tt0045899/





1980年代の半ばに、
ジーンケリーや
ヒッチコックの
リバイバル上映があって、
その時に映画館での映画鑑賞の愉しさを覚えた。
いつかその頃のことも記録しておきたい。

生まれて初めて池袋に行ったのは、
文芸座に行くためで、
そこで雨に唄えばの
サウンドトラックレコードを
みつけて買ってとても嬉しかった。

Overture - Singing in the Rain - The MGM Studio Orchestra
[iTunes]Overture - Singing in the Rain - The MGM Studio Orchestra

デビーレイノルズが歌う雨に唄えばの曲名は、"Singin' in the Rain (In a-Flat)"


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2020年07月19日

【演劇】 大地 三谷幸喜作 2020年








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2020年07月14日

「暴走」は、表向きそのようには見えない。その背景には「黙認」「追認」がある

 
・「なぜ戦争なんか始めたんですか」「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」

 http://inatt.tokyo/article/468749853.html


・NHKスペシャル 全貌 ニ・ニ六事件〜最高機密文書で迫る〜

 「国民の腹の底にある考えを吾々が実行したのだ」

 http://inatt.tokyo/article/468962434.html


・山一證券の破綻 覚書 「会社」という共同幻想

 「事法の暴走」

 http://inatt.tokyo/article/426529862.html


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2020年07月05日

「なぜ戦争なんか始めたんですか」「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」

 
20190811記

「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」


そんなやりとりをドラマなどで何度か観た記憶がありますが、
いつのまにか、ってどういうこと?
雰囲気って、曖昧すぎる、と
今まで、腹に落ちた思いをしたことがありませんでした。


ですが、
ある書物の主張から、
「ああ、そういうこともあるかもしれないんだ」と
納得することがありました。




【お寿司の数え方 お寿司の一貫とは】

2018年7月にふとしたことから、
2013年に発行された、
「ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎」
を入手して読んでいたところ、
とある項目が目に留まりました。

今の私は、
鮨は1貫と数えるものだと思っているし、
昔からそう数えられていたのだろうと考えていました。
バラエティ番組などで、
1貫が2個なのか1個なのか、
という話題がとりあげられるということも知っています。


ところが、
「寿司を「1カン」と数えだしたのは平成に入ってからである」
というのです。


これが正しいとすれば、
物心がついた以後にできた常識なのに、
私は知らぬ間に自分の常識を塗り替えていた
ということになるのですが、
私にはそんな自覚は一切ないのです。


( 1貫は2個か1個か、とテレビに言われて、
  そうだなあ、両方あるなあ、
  と感心した記憶はあります・笑 )

( 物心ついてから、
  ナイフ・フォークでライスを食べるときは、
  フォークの背にのせるって見聞きしたけど、
  のちに、それは違うという言説も読んだ、
  というような、
  最初に教わったことが後で訂正されたという
  記憶はいくつかあるのですけど )


「ホリイのずんずん調査〜」では、調査の結果を
・かつて寿司は「カン」とは呼ばれていなかった。
・1983年から2009年までの雑誌で、「寿司」とタイトルに張っている記事を調べると、
 80年代後期に散見するもののごく一部
 1991年から増えだし90年代を通して広まり、
 2000年代に定着した。
 2003年にすべての雑誌でカン表記。
と示しています。


なぜ、そうなったかについて、筆者は、
・90年代の半ばに通っていた寿司屋の大将に
 「ホリイちゃん、寿司の数え方なんだけど、
  なんか、かっこいい呼び方ないかな、
  1つ2つ、とか、1個2個じゃなくて、
  最近、カンなんてことも言われてるんだけど、どうだろう」
 と相談されたことがあった。
・店舗も客も、寿司を何か特別な呼び方をしたい、という欲求があったからだ。
・寿司屋が広く開かれたから、
 せめてどこかに特別な部分を残したいという意志によって、
 不思議な助数詞が導入されたのだ。
・「寿司のカン呼ばわり」は、うさんくさくて受け入れがたい。
 自然の流れで出てきた呼び方ではなく、極めて意図的で、人為的だからだ。
と主張しています。


雑誌表記の調査に基づいた意見であり、説得力を感じました。
そういう経緯であれば、
1貫は、2個なのか1個なのか、
カンの漢字表記「貫」の由来は何か、
いろいろはっきりしないことも納得できる。


特定の誰かが意図して始めたことではないが、
複数の人が同じことを広め、
世の中の人が多くそれを受け入れると、
大昔からそうであったことのように、
なることがあること、


特定の政治家やメディアが、
特定の思想に基づいて広めた、
というような分かりやすい経緯でないこと、


何か潜在的な世の中の欲求のようなものが、
広める人、受け入れる人に共有されているらしいこと、


また、人がなんとなく当たり前に思っていることが、
当たり前ではないことを示すには、
事実に基づく実証的な作業が必要であるということも分かりました。


また、世の中でなんとなく当たり前と思っていることに
実証的に疑念を呈した主張が
メジャーなところから出版されているのに、
それが広まらないこともあることを知りました。



「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんなことになっていたのです」




20200705追記

また、世の中が変わるには、
そんなに多くの賛同は必要でなく、
一部の人の同意と、
一部の人の黙認・追認があればよく、
自分が望まない結果を
知らないうちに招かないためには、
普段の行動や意思表明も
重要だと思うようになりました。



・「投票しない」という行動は自分の望まない未来を作り出すことに加担することになる可能性がある。





20200807追記
【何故戦争を止めることができなかったの】



私たちが国の運営を任せた人たちがやったこと。







posted by inatt at 06:52| Comment(0) | 感想など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする