2021年04月26日

【ドラマ】 おしん 1983年



平成、令和を生きる私たちのなかには、おしんや加代の血が流れている




橋田壽賀子さんが2021年4月4日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。



おしん総集編(3時間30分)を観ましたが、
あらためて、
本編(74時間15分)を1年間通して観たことが、
貴重な素晴らしい経験だったと
実感しました。

長台詞や雪の屋外の撮影や本当に叩かれて痛かったことなど、
演者の苦労話だけでなく、

内容について、
もっと、語り継いでいく必要を感じます。

また、いつか、
田中裕子さんが、
撮影当時、その後、そして、今、
思っていたこと、
考えていることを
語っていただけたらと思います。




 
・たとえ日本が戦争するようなことがあっても、おしんだけは反対するんだ。

・決して人を恨んだり憎んだり傷つけたりしてはいけないぞ。
 人を恨んだり憎んだりすれば、
 結局、自分もつらい思いをするだけなんだ。
 人を傷つければそれは必ず自分も傷ついて苦しむことになる。
 みんな自分に返ってくるんだ。

・ひとを許せる人間になってほしいんだ。
 ひとを愛することが出来たら、
 きっとひとにも愛される人間になれる、
 そうすれば、心豊かに生きていけるはずなんだ。


俊作がおしんに教えたこと、

おしんが生涯守れたことと守れなかったこと。






この作品から私が得た感慨のひとつは、


誰かにとっての、たか、健、ひさ、でありたい、


ということです。


誰かの人生に偶々交わり、
見返りなくその人を援け、
何も言わず静かに物語から退場していった。



効率や実利だけを考えていればよいのなら、
それが人の生き方というなら、

彼らは、おしんを援けなかったはずだ。



戦後のおしんが最終的にうまくいかなくなったのは、

おしんが誰かのための、たか、健、ひさになることがなく、

自分の家族の経済的幸福だけを追求した結果なのではないか。






2019年4月、朝ドラが100作目を迎えたからか、
BSで再放送が始まりました。

私は今まで観たことがなかったこのドラマを
毎日楽しみに観ました。

毎日1年間観続けなければならない大長編(全297回、74時間15分)で、
正直、
毎日観るにはしんどい展開(佐賀編)、
ちょっとつまらない展開(スーパー設立のあたり)もありましたが、
大変満足しました。

長い長い物語を経て、
第1回の時点に戻ったとき(第288回)、
1年間毎日観てきたことからこその、
深い感慨を得て、
理屈抜きの説得力を感じる、
など、
得難い経験をしました。

それにつけても、
#おしんチャレンジ って
絶巧な名づけだと思います。
(作った方に感謝)



【朝ドラオブ朝ドラ】

文句なく、本作が朝ドラのなかの朝ドラ。

どんな朝ドラにも、
「こんな凄い、素晴らしい××があったよ」と
言えるところがあると思いますが、
そういう要素を有り余るほどに備えている作品。

Twitterの #心に残るおしん名場面 タグをみて、
さらに意を強くしました。


また、
大正から高度経済成長期までの日本のことを知る、
素晴らしいテキストとなっており、

知名度ほどには、
ドラマを実際に観た人は、
今となっては、
それほど多くないと思われ、
もっと頻繁に再放送されてもいいと思います。


昭和という時代の振り返り、
太平洋戦争の評価、
戦争反対の是非、
など、
今後も、いつまでも、
調査、振り返り、議論をし、
様々な研究、ドキュメンタリー、フィクションが
作られるべきだと思いますが、

雄の最後の手記を見れば、

それは脚本家が戦後に造ったフィクションなんだけど、

もう、結論は出ているような想いを持ちます。



【大正・昭和の女性のなりわい】

大正・昭和の女性の様々な生業が登場します。

年季奉公、
製紙工場の工女、
温泉場の酌婦、
女丁持(ちょうもち)、
髪結、
カフェの女給
住込女中、
露店屋台
魚行商
売春宿
パンパン
etc

おしんだけでなく、
ふじ、加代、佐和、初子などの人生を通じて、
当時の女性の大変な生きざまを描いています。


「売春宿」「赤子」「骨壺」とか、朝ドラと思えないもの凄い筋立て。


【男性の登場人物】

朝ドラなので、女性が主人公ですが、

主な男性登場人物の描き方も興味深いものがあります。

・日露戦争に従軍し、戦争の悲惨さから軍を脱走した男
・戦前に農民運動に携わるも転向、運動に虚しさを覚え戦後は食料品店経営に専心する男
・軍に積極的に協力し、終戦とともに自らを清算した男
・学徒出陣し、南方で餓死した男
・特攻隊で死にぞこない、経済的成功に邁進する男(複数)

そして、

・自分の先祖の物語を知り、志を持つに至った男


【方言】

現代の伊勢では、皆、標準語を喋っている。

おしんが上京したとき、
東京では、江戸弁、山形弁、佐賀弁が飛び交い、
日本の各地方の人たちが集う状況を示すとともに、
最初山形弁を話していたおしんは、
しだいに標準語になっていく。

佐賀ではおしんはひとり標準語を喋っており、
佐賀になじむつもりがなく、孤立していることを表している。

伊勢では、おしんとおしんの子供たちは、
(山形生まれである初子も、あるいは浩太も江戸弁でなく、)
標準語しか話さない。
(一方、おひさは標準語ではない。
 おしんの家族たちとは異なる位置づけだからだと思います)

標準語を話すことで、
特定の場所の人でなく、
日本のどこにでもいる人たちの物語であることを
示しているのだと思う。


( 「長岡輝子 宮沢賢治」で動画検索 )


【庶民の戦争責任を問う】

本作では、軍服がほとんど登場しない太平洋戦争を描いており、

軍人が加害者で庶民は犠牲者、のような話は出てこない。

庶民の戦争との関わりについては、竜三のビジネスの変遷が大変興味深い。

・佐賀から東京に出て羅紗問屋を開業し、大戦景気のもと、派手にカフェ遊ぶするほどに繁盛する。
・第一次世界大戦後の1920年(大正9年)の戦後不況(綿糸や生糸の相場暴落)の影響で危機に陥る。
・大衆向け子供服の製造・販売で盛り返すが、関東大震災(1923年・大正12年)で多額の借金で投資した工場を失い、東京を引き払う。
・伊勢で魚屋を始める。(1927年・昭和2年?)
・世界恐慌から波及した昭和恐慌(1930年・昭和5年〜)の影響で加賀屋も潰れ、不景気は続き、景気をよくするには小さな戦争も必要と考える。
・満州事変勃発(1931年・昭和6年)、これからは軍人の世の中だと考える。
・1938年(昭和13年)軍の納入業者になる。鮮魚から食料加工品や衣料品へ事業を拡大していく。事業以外にも軍に対して様々な協力を行う。
・敗戦により、事業を終了。

竜三の最後の身の処し方は、庶民にも戦争責任があることを表現していると思う。


同じく、
戦後の高度成長の負の面についても
庶民にも責任があると主張しているのではないか。


【戦後のおしん】

戦後のおしんには、
家族以外の、
おひささんやたかや健のような
助けてくれる人がいなくなっている。

浩太とも、戦後は専らお金の話しかしていない。

(おひささんたちは、直接的な金銭支援はしていない。)


頻繁に
(主に初子が、おしんに対して言う、)
世の中が変わった、
人の考えが変わった、
という話がでてくるが、
何が何故どのように変わったのかは
はっきりとは示されない。


ひとつは、
プラグマティックに実利選好を第一に考える、
ということかもしれない。

( 2020年8月9日 NHKスペシャル 「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」
http://inatt.tokyo/article/476954142.html


【大団円感のない結末】

私にとっては、
ずっと浩太に感情移入できなかったので、
このドラマの終わり方に、
大団円を感じないのですが、

初放映時は浩太は人気があったと聞いたことがあるので、
それぞれがどう感じるのかはわかりません。

作り手は、
おしんの人生を
すべて肯定的にとらえているわけではないと
感じているので、
大団円にまとまっても
私自身は違和感を感じたと思うので、
結末に不満はありません。

バブルや平成不況を経て、
スーパーたのくらがどうなっていったか、
やや悲観的な思いを持ちますが、

ひとつ言えることは、

おしんとの旅により、
圭が抱えることとなった夢が
叶う(叶った)ことを願っています。


【忘れられない登場人物】

少ししか登場していない人物でも、
その後、どんな人生を歩んだのだろうと
思いをはせる人たちがたくさんいました。

材木問屋女中頭のつね(丸山裕子)
 女中頭として彼女も立派なプロフェッショナルだと思う
 (中の人は演じるにあたってスタッフから「鬼になれ」と言われたとか)

松田先生
 教育がとても大事なことであり、それを担う職業人の素晴らしさ

恒子
 恒子の場合は、
 その後どんな人生を送ったんだろう、と思うよりは、
 見ていないのに、
 どんな人生だったか、
 もう、知っているような気持ちになっている・笑

 ( それとも、自分自身も怖いお姑になったのか・笑 )


アテネの女給たち
 彼女たちも「おしん」であり「加代」でもある。
 震災や恐慌や空襲を潜り抜けたのか、どうか。

おしんの弟、妹たち(正助・こう・すみ)はどうなったのか・笑
 惣領の庄治は農地改革があったからよかったけど。

 ( 谷村ふじ(泉ピン子)が産んだ子供は、
   庄治、はる、みつ、しん、正助、こう、すみ、の7人。
   死ぬ間際にふじが思いうかべる夕餉の場面には、
   子どもが6人しかいないようだ。
   つまり、末娘でおしんが奉公にでるきっかけとなったすみが
   ふじの頭から抜けてしまっているようだ。)

川村清一
 戦後のおしんの成功のもととなる重要人物。
 天国で、土地は初子に譲るべきだったと悔いてはいないか・笑
 雄の代わりにおしんに親孝行したと考えた場合、
 そのお金は、
 終戦直後、
 ヤミペニシリン、メチルアルコール、高利貸などで、
 遮二無二に荒稼ぎしたもの。
 ( 仁がスーパーたのくらの再建をあきらめた際、
   申し訳ないと思う人として、
   川村の名を挙げていました。)


【主要登場人物】

竜三
 クズなところもありながら・笑、
 嫁の母に会うなり、爽やかに
 「お母さんよく来てくださいました、私が田倉竜三です」
 と言える人。

 カフェの女中にモテるけど、
 「浮気」のようなエピソードは一切なかった。


お清
 高森和子さんの名演。
 田中裕子を含め、台詞を噛んでもそのまま放送しているところが、
 まま見受けられるところ、
 お清にはそんなところがひとつもなかったように思う。
 あってはならない、
 怖いお姑でなくなる、
 観る人が醒めてしまう。

 台詞回しだけでなく、
 第219回、
 おしんの言葉を聞いているときの表情も凄かった。



・お清役、高森和子さんの述懐(おしんDVD付録)

 お清への批判的投書が多く寄せられ、気がつくと、道の端を伏せ目がちに歩いていた
 プロデューサーから一緒に佐賀へ行きませんかと言われ、しぶしぶでかけた
 満員の会場の壇上で、思わず「佐賀の皆さま、この度は申し訳ございません!」と言った
 会場は大きな拍手と笑いが湧き、一人の御婦人が立ち上がり、
 「お清さんは少しもきつくないですよ。昔はもっともっときつく苦しいものでしたよ」
 と言い、又も拍手が起った
 緊張から一転、佐賀の皆さまの暖かい温もりに包まれた、うれしいひとときだった


【おしんのテーマ】

この物語のテーマは何か、脚本家が明確に記しています。

「ひろく明治、大正、昭和と激動の時代を生き抜いてこられたかたたちの人生史を知り、そのかたたちの生きざまを通じて、私たちが見失ったものをみつめ直したかったからである。それはまた、日本が明治から昭和へと近代国家に急成長する過程で、そぎおとしてきたものでもある。」

「“おしん”という名もない女性の一生を描くことで、今、私たちが生きるための指標を探れたらと願っている」

(橋田壽賀子が『母たちへの鎮魂歌』と題して「ドラマ・ガイド」の巻頭に載せた文として、
 おしん・シナリオ(一)奉公篇の序にあるものを引用)


また、第16回、第17回の俊作の台詞や
第219回のおしんの台詞もテーマのひとつでしょう。


戦争が終わったら、
戦争中は自分も黙っていたくせに、
自分ひとりは戦争に反対してきたみたいに、
馬鹿な戦争だったとか、
間違った戦争だったとか、
偉そうなことを言って。
私もそうでした。
暮らしが豊かになるためだったらって、
竜三の仕事に目をつぶってきました。
戦争のおかげで自分だってぬくぬく暮してきたくせに、
今になって戦争を憎んでいるんです。
雄や仁を奪った戦争を恨んでるんです。
そんな人間に比べたら、
竜三はどんなに立派か。
自分の信念を通して生きて、
それが崩れたときに
節を曲げないで自分の生き方にけじめをつけました。


また、
おしんの次世代の女性を描かなかったところも、
この脚本家の他の作品の特徴も含めて興味ぶかい。


【田中裕子】

田中裕子の演技を抜きにして、このドラマは成立していないこと、
誰の目にも明らかですが、

20190524の日経私の履歴書で
橋田壽賀子は、
「これまで秘密にしていたのだが、大人になってのおしん役、田中裕子さんは、私とは言葉を交わさなかった。目も合わさなかった。多分、脚本ができる前に仕事を受け、いざ始まってみると役柄が気に入らなかったのだろう。なのに田中さんは見事にというか、スタッフの期待以上のおしんを演じてくれた。それでこそ本当の名優だ。」
と言っている。
田中裕子は、おしんのどんなところが嫌いだったのだろう。

自身はおしんの世代の生き方に興味がなかったのかもしれない。


【誰かにとっての、たか、健、ひさ、でありたい】

このドラマを観て、感じたことのうち、
とても大事なことと思ったひとつは、

ビジネスや身の回りの賄いなどに関してはとても有能であるが、
家族の気持ちを慮る点には少し欠陥があるような・笑、

( おしんの師である、くには、
  まさしくそういうふうにおしんを仕込んだと思う。 )

そんな、おしんではなく、

見返りを求めず、おしんを折々で援けた、
たか、健、ひさのような人を見習わなければならない、

ということです。


【「おしん」を知らず、平成を通り過ぎた。そして、】

おしんが放送されたとき、
私は大学生でした。

世の中では大変な話題でしたが、
私自身は、
朝ドラ、しかも、一見古臭くみえる筋立てのドラマには、
まったく興味がありませんでした。

そして、平成の間も
おしんというドラマの内容を知ることなく通り過ぎました。

世の中は、作者の思い
(「私たちが見失ったもの」
 「今、私たちが生きるための指標」)
に関わらず、
バブルを経て、
失われたxx年を経由し、
今に至っています。

私自身は、
令和になって、はじめてこのドラマを観て、
いろんな感想を持ちました。

もし、
1983年に私がおしんを観て、
今と同じような感想を持ったら、

私自身の人生は何か変わっただろうか、

そして、おしんを観終わったこれからの私の人生は何か変わるのか、

そんな大袈裟な感慨を持ちました。


【各回覚書】(作成途中)

第1回

こけしを置いていっているので、
おしんの家出は、戻ってくるつもりのもの。

おしんの部屋には仏壇がある(第289回)が、
この回では一切映らない。


「この朝ドラはすごいで。
さっきまでな、
いろんな人が入れ替わり立ち替わり出てきて、
おしんの噂話ばっかりしてたんや。
今始めておしんが出てきたんや。
15分近くヒロインが出てきいひんかったんや。
これは名作になる気するな。」
(カムカムエヴリバディ・71回)



大長編のこのドラマのなかで、
おしんが登場しない、
第1回の最後のシーンが、
実は私は、一番好きかもしれない。





おしんは、昭和天皇と同じ明治34年(1901年)生まれ。

物語は、明治40年春から。(おしん数え7歳)。
なか60歳。作造37歳。ふじ32歳。
谷村家は、五反の小作と二反の畑。
( 1反は30メートル四方のイメージ )


第3週

16回

「たとえ日本が戦争するようなことがあっても、おしんだけは反対するんだ」

17回

「決して人を恨んだり憎んだり傷つけたりしてはいけないぞ。
 人を恨んだり憎んだりすれば、
 結局、自分もつらい思いをするだけなんだ。
 人を傷つければそれは必ず自分も傷ついて苦しむことになる。
 みんな自分に返ってくるんだ。」

「ひとを許せる人間になってほしいんだ。
 ひとを愛することが出来たら、
 きっとひとにも愛される人間になれる、
 そうすれば、心豊かに生きていけるはずなんだ。」


223回

母さん、人間、水さえあったら生きられるって本当ですね。
ここのところ、谷川に沿って歩いているので、ありがたい事に水には不自由しません。
雑草と水だけで、もう何日が過ぎたか。
これ以上、もう痩せる肉も無くなりました。
母さんのライスカレーが食べたい。
子どもの頃、今夜はカレーだって時は、ズボンのベルトを緩めて食卓に座りました。
あれが本当の幸せってものだったんだと、今になって気が付きました。
もうあんな時は、二度と帰ってはこないのだろうか。
その時は何とも思わなかった事がどんなに幸せだったか。
それが分かった時には、もう手の届かない世界になってしまいました。
今なら、あの1杯のライスカレーのありがたさを心から味わう事ができるのに。
何もかも遅すぎました。

母さん。
母さんがお釜のご飯のおこげにしょうゆをまぶして握ってくれたおむすびは、本当においしかった。
お魚やレンコンやゴボウのササガキや、枝豆やニンジンや、いろんな色どりが楽しかった母さんの五目ずし。
あずきをつぶすのを手伝いながら、生つばを飲み込み、母さんの手から魔法のように現れるのを待っていたおはぎ。
母さんが作ってくれたものはどれもおいしかった。

僕はとても女々しい男です。
でも、時々どうして僕がこんな異国で灼熱に焼かれ飢えに苦しみながら、当てもなくさまよい歩かなければならないのか分からなくなります。
誰のために、何のために。
母さん、教えて下さい。
僕はお国のためよりも、天皇陛下のためよりも、母さんのために生きなければならなかったのに。
母さん、ごめんなさい。


289回

おしんは自分の部屋に戻るなり、
仏壇の扉を開ける。

( 細かいこというと、第1回とは箪笥などの配置が異なる・笑 )


290回

父さん、僕ね、
いつか加賀屋ののれんを再興してみせる、
そう決めたんだ。
僕は、加賀屋の大奥様やそれにお加代様のことが
大好きになっちまった。
僕のこの体の中には、その人たちの血が流れてんだ、
すごいじゃないか、父さん。
父さんのやれなかったことを、俺やってみるよ、
やってみせる、できるさ。


( 日本人の視聴者の体のなかには
  おしんたち、加代たちの血が流れている )




(初稿20200331)



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2021年04月17日

レンタルなんもしない人


 
この人のことを最初に知ったのは、
NHKのドキュメント72時間。
だから、毎日Twitterを見ている割には、
知るのが遅かったのだと思う。

世の中がこの人を必要としているみたいだ、
ということから感じる何かが怖いと感じたようだ。

それからTwitterをフォローしていた。
彼のことを羨ましく思う自分もいるのだろう。


妻子と別居となり、
ザ・ノンフィクションでは、
「嫌なことを避けて逃げて生きていたらどうなるかっていう、
 これも実験の一つかもしれない
「スティーブ・ジョブズはあまり育児に参加しなかったって聞きますし、
 もしもスティーブ・ジョブズが育児参加を頑張っていて
 iPhoneが生まれなかったら僕は残念なんですよ
「新しい価値を生み出そうとしている人が
 育児とか家事とかを優先してしまっているとしたら、
 残念な世の中だと思いますし、
(目指しているのはその新しい価値の創造みたいな?)
「かっこよく言うとそうかもしれない
「世間で言われていることの圧力を常に感じていて、
 その圧力が今回も息苦しく感じたから家を出た
と語っていた。
(後に本人が編集に異を唱えていた)




このおなら恐怖症の方の依頼は、
Twitterで見たとき、とても印象深く
記憶に残っていたが、
ザ・ノンフィクションで、
依頼者が顔出しで登場したのに驚いた。

「ちゃんと何かを匂おうとすると、もしかしたらこれかなというような(匂いがある)
「まあ、やり過ごすような程度のものではありますけどね
と匂いを肯定したのにまた驚いて、
依頼者は頷いていたが、
テレビカメラに映りながらの反応だから、
内心どんな心持ちなのだろうと思った。

匂いがあるかないかは、
依頼者の第一の問題ではなかったのではないか?

依頼者は、匂いのことだけでなく、
彼に実際に会い、尋ね、確認したいことが確かにあったのだと思った。


(20190916)


(20200409)ドラマ版


(20200603)


(20200927)
ふと思いましたが、
レンタルさんが、スマホを落としたり、盗まれたり、
twitterのアカウントを乗っ取られたりしたら、
大変だなと。

(20201001)



ドラマの最終回の内容にあわせて、放送終了後に表明したのかな。

(20210421)


自分がしたくないことを避けて、ここに至っていることは素晴らしい結果だと思う。












posted by inatt at 17:36| Comment(0) | 感想など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月05日

【ドラマ】 タイガー&ドラゴン 2005年 (全体の感想)



2005年のドラマ ( wikipedia )

再放送され(20201228〜)、久しぶりに観ました。

・作り手は、磯山晶、宮藤官九郎、金子文紀、仲西匡をはじめとする皆さん。

・豪華なキャスト
 林屋亭どん兵衛一門は、大河ドラマで説明すると、主役経験者が3人で、
  西田敏行(徳川吉宗)、阿部サダヲ(徳川家康)、岡田准一(黒田官兵衛)、
  春風亭昇太(今川義元)、
  星野源(徳川秀忠)、深水元基(福島正則)、浅利陽介(小早川秀秋)、
  銀粉蝶(大政所)
 出来る俳優さんたちが、全力で、人情噺。

 ( 「出来心」では、このうち、5人がふんどし姿を披露 )




・劇伴(仲西匡)がいい。

(Amazonで試聴可能)


タイガー&ドラゴン ロケ地ガイド
 「喫茶 よしこ」「そば辰」のあったあたりは、まだ面影が残っているのだろうか。


・ヤスオとまるおは、やくざの世界、お笑いの世界のもうひとりの虎児






■三枚起請

マクラは、どん吉。

ナンの話から始まる。
「何に書いてもらおうっつって、ナンに書いてもらったって話」

虎児「思えば、両親が死んでから、俺は一度も笑ったことがなかった。
笑うことも笑わせることも、俺の人生には必要ねえと思ったから」

いつのまにか虎児が右手にしているRELOX

「小百合ちゃん泣いてるじゃねえかよ」

「はい、ナポリタンおまたせ」


2020年年末の再放送は、
パイロット的に単発ドラマとして制作された本回から放送する
良心的な編成でしたが、
(連ドラとしての第1回は「芝浜」)
かなり大胆にシーンのカットがあり、
五人起請といいながら、
それに関わる部分さえ端折っていました。
逆にいうと、
「三人起請なのに、五人じゃねえか」というアイデアは、
結果として、シーンが冗長になってしまったんだな、
と変な部分で納得しました・笑

腕に刺青を入れた人
 辰夫、チビT、輝比弧、トシ、ヤスオ


■芝浜

マクラは、小虎。

「お義母さんが、泣いてますから」

「はい、ミートソース、お待たせ」

「どっかでお会いしましたっけ」

リサ(蒼井優)のいじらしさ、可愛らしさで成立させているお噺。


■饅頭怖い

マクラは、どん太。(どんぐりころころ)

「出川抜いたよ」

浅草寺鶴子「泣いて国際通りU」(潮騒のメモリーの原型・笑)

「はじめまして」

「親なのか師匠なのか、わかんねえから、イラつくんだろ」

「あと、お母さんが泣いています」

「親子っつーのはよ、なんかよ、いいもんだな」

「落語もおもしれえけど、親子もおもしれえや」

鶴瓶と渡り合った松本まりかの花嫁、すぐにも人気俳優になると思っていた

「コーラフロートお待たせ」

「封筒用意しとけって言ったろ」


■茶の湯

マクラは、銀次郎

「月々10万の返済やったら完済するのは2008年や、ということはお前2008年まではお前カタギにならへんちうこっちゃい
( 結局どうでも2008年まで自由の身になってない)

人生ゲーム

「で、お前はどんぐりだっけ?」

「甘いよ、このマックスコーヒー」

「小百合ちゃんが泣いてますよ...泣いてませんでした」

2chの感想「正直ガカーリ」「萎えー。」


■権助提灯

マクラは辰夫

「沙耶ちゃん、今のがノリつっこみだぞ」「うん」

「メガネすっきり曇りなし、お鍋すっかり食うものなし」(落語芸術協会会長かく語りき)

「やばいぞ竜二、小百合ちゃんが泣いてる」

「つきあっちゃえばいいんじゃん」

「はーい、カレーライスお待たせ」

「そのぐらい覚えといてくれっちうねん」

(私、初見のときは、どちらがラブレターを書いたのか、はっきりわかりませんでした・恥)


■厩火事

マクラはメグミ

スウェーデン大使館は六本木、でも青山だから。


( 20230204追記 本回ではギャグだが、今は、Zabu−1グランプリというものがあるらしい )


「堪忍ニン」

まるお「思たら両親が死んでから、ワシはずうっと笑いっぱなしやった
笑うことと、笑かすことしか、ワシの人生必要ない、ちうてな。」

左手に数珠をしているまるお

「まりちゃん泣いたら、あたしだって泣いちゃうよ、いいの?」

竜二がデザインしたふざけた舞台衣装が、何故か、思いつめた漫才師夫婦の対話に似合っている


ーーー

肝心なところ、

まるおまりものふたりの顔を同時に映すことはなく、

ところどころ、
まるおの表情、
まりもの表情を、
画面に映さず、

最後の肝心な台詞は、
話した人も聞いた人も
どんな表情をしていたのかわからなかった。

画面に映らなかったものに思いをはせて、
私にとって、
いつまでも忘れらない一話となった。

まりもは、
最初、自分への愛情を試そうとして、
次に、まるおの芸への本気を試そうとして、
結果、両方を確認することができた。
自分の過去、まるおの将来、
まるおの表情から両方を感じとれたことが彼女の幸せであった、

一方、
相方を失っても、笑いに突き進もうとする、
まるおは幸せなのか、どうか。

彼は、いつかこの先でまた破滅するのではないか。

ふたりが最後に分かり合えたかどうか、よくわからない。

(相手を試す嘘の作用と反作用)

と、今の私は考えます。


そして、
虎児もこの後、
まるおと同じように、
生き方を試されることになる。


唐土の孔子の感想
 http://inatt.tokyo/article/398821148.html

麹町の猿の感想
 http://inatt.tokyo/article/398821475.html


まあ、それらはいったん置いといて...

「井上和香!」


■明烏

マクラは、白石克子

舞台から長瀬智也に蹴り落された星野源が、
次のシーンで額に絆創膏を貼っていることに、
15年経って気づきました・笑

「師匠(落語芸術協会会長)がいねえと、あいうえお作文ができないんすよ」

「ママ、沙耶ちゃんが泣いてます」

「はい、レモネードお待たせ」


■猫の皿

マクラは、柳亭小しん

「うなどんはな、入門前だったからな」「うどんです」

「んなこと言ってると、お前、小百合ちゃん泣いちゃうぞ」

「ペペロンチーノお待たせ」



■出来心


■粗忽長屋

「魔法が、魔法がとけちゃうう」

「俺の代わりは、もういねえんだよ」

「理由はひとつだよ」

「ツープラトンだよ」

「話にオチがつかないんだよ」

「変なアップリケのついてないやつだぞ」

「かしこまりぃ」

「はーい、煮込みお待たせ」


■品川心中


「ほんなら、最後の10万はな、わしが短い噺教えたるわ」

「ダメだって笑うんだよ」

「小百合ちゃんが、泣いてる」

小手伸也が出演していることに気づきました。

「はーい、焼きそばお待たせ」


■子は鎹


「ここに座ってたんだよ、3年前まで」

ナンの話で終わる「そっちのナンじゃねえよ」

「タイガー、タイガー」「有難いがー」






■私が観てみたい続編のエピソード

・銀次郎とりさの復縁
・日向の若妻の極妻奮闘
・隠居組長が落語家復帰
・ジャンプ亭ジャンプのスランプ脱出
・どん太の醜聞に鶴子大活躍
・どん吉一家の嫁姑小姑問題
・うどんの初恋と芸の肥やし
・まるおの復帰と栄光と破滅
・中谷中(組長どん兵衛)、W竜(どん太竜二)のダブル漫才
・どん太の芸能協会会長就任騒動

などなど







虎児、まるお、ヤスオ、右手に時計(数珠)をはめている人のお話


2021年04月01日

プロジェクトXの作り方


 
ある男が、...
「頭を抱えていた」
「〜が相次いだ」
「突然、〜が襲った」
「壮絶な戦いが繰り広げられていた」
そして、
「その時、〜が動いた」
「同じ思いを持つ男がいた」
「君しかいない」
「立ち上がった男たちがいた」
「壮絶に戦った男たちがいた」
「挑戦の物語」
「名もなき男たちの壮大なドラマがあった」

「〜に打って出た」
「長い闘いの始まりだった」
「いくつもの試練が待ち受けていた」

「圧倒された」
「息を呑んだ」
「皆、打ちのめされた」
「困難を極めた」
「神経を擦り減らしていった」

「徹底的に調べた」
「〜する作戦に出た。しかし、」
「リーダーの××、立ちつくした」
「そのとき、○○が、名乗り出た」
「命運を〇〇に預けた」
「秘策に逆転を賭けた」
「最後の望みを賭けた」
「一か八かの賭けだった」
「すがる思いで」
「一心不乱に取り組んだ」

「〜が応援にかけつけた」
「総力戦になった」
「メンバーは焦った」
「そのときだった」
「とんでもないことを言った」
「最後の勝負にでた」
「一か八か、その方法に賭けた」
「奇跡が起こった」


そして、

「笑顔があった」

「○○さん、よくやりましたね!」


出演    国井雅比古アナウンサー
ナレーター 田口トモロヲ

・自分で書いておきながら、何故か、目頭が熱くなる私。

 「そのときだった」とか「笑顔があった」とか
 この番組で「発明」されたように思う言い回しが、
 誰の手によるものなのか興味深い。
  
・ナレーターは余人に代えることができません。

・内容がなんであれ、事を為すために、同じく大事なことがあるというか。

(初稿 20070216)





NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」は、

2000年3月28日放送から2005年12月28日放送まで196本。

2021年3月よりリストア(デジタル・リマスター処理)のアンコール放送。

( Wikipedia 放送一覧 )


■(第1回)巨大台風から日本を守れ 富士山頂・男たちは命をかけた

冒頭番組の説明

国井アナ「戦後の日本人は、英知を結集するといいますか、
     集団の力、チームワークを生かすプロジェクトを作りましてですね、
     さまざまな事柄に挑戦してまいりました。

久保純子アナ「そのプロジェクトを陰で一生懸命支えてきてくれた人たち、
       無名の人たちがこの番組の主人公なんです。

20代の大成建設の現場監督が、逃げ出そうとする作業員を
「男は一生に一度でよいから子孫に自慢できるような仕事をすべきである」
と説得する。
(後に作られた「富士山頂気象レーダー工事従事者氏名」板は、
 三菱電機社長名)

いろんな立場、経歴の人たちの思いが重なりあっている

コメンテーターとして、松坂慶子と見城徹が出演しているが、
事実と当事者の述懐だけで十分で、
第三者の解説・感想など不要であることがよくわかる。


■(043)えりも岬に春を呼べ 〜砂漠を森に・北の家族の半世紀〜

創作物以上にいろんな要素を含んだ物語

人間は自然を壊すことも創ることもできるが、人間ひとりの一生分の努力が必要


■(119)醤油 アメリカ市場を開拓せよ

秋谷満寿(あきやまんじゅ)
横塚保(よこつかたもつ)
GHQ経済科学局アップルトン
火香(ひが)
「お客に買ってくれと言うな。買いたいと思ってもらえ」
「日本は外貨を稼ぐ以外に国をよくする方法はありません」





( プロジェクトX〜挑戦者たち〜の放送一覧 Wikipedia  )

この番組の意義はなんだったか。たくさんの知らなかったことを教えてもらったが。

この番組をたくさん観たら、日本は活気を取り戻すか、成功プロジェクトを新たに生み出すか

プロジェクトの当事者にも整理・説明できないこと
 新田次郎(富士山レーダー)
  「なんとも非常に熱っぽいひとつの一団ができあがっちゃったわけです、
   それで、あの仕事ができあがった。
   今考えてみてもわかんないですね、
   どうしてあの素晴らしい仕事があの短期間でできたか。

「名もなき人」を従来の偉人とおなじようにヒロイックに彩り描くことの是非

「命をかけた」「友の死を越えて」という表現

当時の映像、あとから作った映像が、区別なく混在して示される

プロジェクトの無茶は、プロジェクトの成功によって、問題なしとなるのか、どうか。


全作で、女性が主人公の話がいくつあったか把握していないが、
その結果は意図したものだったか、どうか。


( YouTubeをプロジェクトXで検索 )


posted by inatt at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ・感想など・TV・NHK総合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする