お父さんがビールをこぼしてごめんなさい
【連載開始時のこと】
別冊マーガレットで、
「ホットロード」の連載が終わったのは、
1987年5月号(wikiによる)。
しばらく、
今でいえば、「紡木ロス」な気持ちでいましたが、
1987年9月号(wikiによる)から
最初は、
3話の短期連載として発表された、
「瞬きもせず」
(最初は全100ページ前後編2回掲載となっていたが、
実際は3回掲載になり、
さらに長期連載に変更になった記憶)
当時の少女マンガが
どこでもない空想的な小綺麗な街を舞台にしたお話が
ほとんどであったところ、
この作者の物語は、
多くの作品が横浜・湘南を舞台としており、
横浜の雑踏、
湘南のからりとした白い陽射し、
現実感のある背景描写が印象的でしたが、
更に進めて、
登場人物たちが方言を話し、
どこだかよくわからなくても、
日本の田舎だと確かに判る、
地方を舞台にして、
お父さんが陽気に酔っぱらっているところを
同級生に見られて恥ずかしいと思う
純朴な高校1年生のひと夏のお話。
すごく新鮮で夢中になりました。
【紡木たく作品の主人公たち】
まず、「瞬きもせず」という作品は、タイトルが好い。
紡木たくの作品のための言葉のような気がします。
終に、この作者は、
大人を主人公にすることがなく、
子供が大人になることを描きませんでした(*)が、
紡木たくの作品の主人公は、
みんな「まばたきもせず」何かを見つめています。
紡木たくの作品全部、
タイトルが「瞬きもせず」でも、違和感がないとも思うくらいです。
(*)
例外の覚書
バスの中で妊婦に席を譲る玉見トオル
【ラストの追加】
この作品のラストは、
連載時は、
かよ子のモノローグで終わっていましたが、
単行本、文庫になるごとに、
複数回改訂され、
カットや台詞が追加されています。
確かに、
連載時に最終回を読んだとき、
少し物足りなさを感じた記憶がありますが、
最新の版なら、
その物足りなさが解消されているかというと
そういう感じもしません。
連載時のままでも問題ないようにも思います。
自分が年老いて、思うことですが、
作者が
かよ子がその後どのような人生を歩むのか、
どんな風に考えていたのか、
興味があります。
かよ子のモノローグで物語が終わらず、
紺野のその後をお知らせする、
この追加は、
紺野の行く末にいまいち納得感が
出ないことによるものでしょうか。
彼の夢が破れたままでいるところなどが。
この物語は本来、
かよ子の物語なので、
サッカーに焦点がいって
物語が閉じるのは変な感じもします。
確かに、
今のままでは、彼が花屋の主人になるまでには、
もう1回か2回、人生に迷いそうなところがあります。
うっかりすると、
初恋をふりきった、輝也や美っちゃんのほうが、
印象深く、魅力的になりかねないところがあります。
この点については、
ラストをいじることだけでは、
うまくいってないように思います。
もし、私が作者に望むとすれば、
東京にいるときの紺野のお話を外伝でもよいので、
追加していただきたいです。
紺野が、東京でひとり、それなりに頑張りながらも、
夢がかなわず、かよ子に別れを告げ、
その後、故郷に戻ることを決意する経過は、
基本的にかよ子の視点、気持ちから描いているため、
かよ子の残した伝言で彼が帰郷を決心したような形になり、
彼の主体性が感じられません。
従って、その部分をそれなりな分量で、
紺野の視点で描き、
彼が彼なりに納得して、
故郷に戻ることを決断した、
また、新しい夢を見つけた、などの
物語を読んでみたいと思いました。
(初稿20061110)
20210114追記
最終回掲載の別冊マーガレットを再び読む機会がありました。
かよ子の独白と、
サッカーボールと戯れる少年のカットで終わります。
(今の単行本の版ではこのカットを見開きにするために書き直されているようです)
今の私は、連載時のこの終わり方で全然問題ないと感じました。
20220924追記
ホットロードの和希、春山、
本作のかよ子、
ともに、物語の最後は、
画面の奥へ進む後ろ姿が描かれているが、
大人になった彼らの正面の姿は、
私たちには分からない。
【紡木たく作品の背景に流れる音】
紡木たく作品を読み始めた頃、
街の雑踏の音、
特に、
街に流れ漏れている音楽が聴こえてくる(ような気がする)のが、
(描き文字で描かれているからでもありますが、)
とても印象的でした。
個人的な思い出として、
「みんなで卒業をうたおう」と「机をステージに」を読んだとき、
ある曲が自分の頭のなかに、
自然に流れだしたことに驚いたことを覚えています。
(作者の頭の中では尾崎豊かもしれないのですが。)
読む人の内面に豊かな心象を湧かせる力を感じることがあります。
20131020記
2013年の4月から9月まで、
朝ドラあまちゃんを観るのが1日の最大の愉しみであった私ですが、
能年玲奈が『ホットロード』の宮市和希を演じるというニュースに驚きました。
何に驚いたかというと、
紡木たくが、ホットロードを実写化できると考えているらしいこと。
紡木たく作品は、映像化することがとても難しいものと感じていましたし、
作者本人がそれを望んでいないと思っていました。(**)
( 映画ホットロードのホームページには、
原作者のコメントページがあったのですが、
現在はなくなっています。20161119 )
和希や春山のような人物を映像化することなど可能なのでしょうか。
特に、春山は、現実には存在しない、妖精のようなもの、という感じがします。
そのような現実感の薄い人物造形を実写の現代の物語で成立させている例は、
私が観たもののなかでは、
夢千代日記の吉永小百合ぐらいしか思いつかないです。
または、
作者が作品にするにあたり心の中に映っていたものを
そのまま映像にすることができたとしても、
それを他人が見て、
共感するかどうかは別の話のような気がします。
あえて言うと、
今、幕末の物語をドラマ化するような感じで、
100年後に、昭和の終わりの物語として製作されれば、
成立するかもしれないなあと思いました。
一方、
絵里やリチャードや茂には、
自分の周りで、
街で、
たくさん出会っているように感じます。
彼らの描き方が重要なのかもしれません。
( ホットロードの感想
http://inatt.seesaa.net/article/398821675.html )
(**)
瞬きもせずコミックス7巻165ページに、
(H) WA EIGA NIWA SHINAI。
という作者の書き込みがあります。
これは、ホットロードのことだと
思っていました。
(参考)
http://www.tsumugi-taku.net/message/48.html
みんなで卒業をうたおう (マーガレットコミックスDIGITAL)
紡木たく