2021年02月02日

大林宣彦監督映画の感想



「人の命には 限りがあるが、物語の命は永遠だろう」






( Wiki  )
( IMDb )

【監督作品】

絵の中の少女 1960年
 若き日の大林宣彦の風貌
 後に弾き直し入れ直したピアノ伴奏が相当に饒舌な(うるさい・笑)件

喰べた人 1963年 (共同演出・撮影)
 口から目ん玉
 岸田森はやはり特別な存在感があると思う

EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ 1966年

 死んだ人たちはどこにいる
 旅に出かけておりまする

 人はいつまでも、夢の中にいるわけには、いかないのだ
ロジェ・バディム

 つんつるてんの着物
 飛び跳ねる少女

ハウス HOUSE 1977年
 Cherries were made for eating.
 http://inatt.tokyo/article/398821810.html 

瞳の中の訪問者 1977年
 ハウスの公開が1977年7月30日で、この作品は1977年11月26日公開

ねらわれた学園 1981年
 薬師丸ひろ子が大林映画にハマらない理由というのは興味深いテーマ、
 彼女がまだキャリアの浅い頃から自我のあるキャラクターだったからではないか。

(大林監督は俳優をコマのように材料として扱う。
 たとえば、
 植木等はそういうものだと心得ているし、
 三浦友和はそういうことが次第に嫌になったのでは?)

 高校を西新宿のど真ん中に置くのは80年代っぽい。

 (「セーラー服と機関銃」では、
  それとは違う「新宿」を、
  主人公が赤いハイヒールを履いて闊歩する)

転校生 1982年
 自由で幸福な映画作りは永遠にフィルムに焼き付いている
 http://inatt.tokyo/article/398821627.html  

時をかける少女 1983年
 深町君への想いを胸に秘め、ゴロちゃんを忘れて空ろなこの世に彷徨い続ける和子
 http://inatt.tokyo/article/398821629.html

廃市 1984年
 個人の趣味が最も素直に現れた作品。
 制作費のせいでもあろうが、
 ナレーションも音楽も監督自身が担当している。

さびしんぼう 1985年
 そんな光景を皆さんはなんとお考えになるだろうか
 http://inatt.tokyo/article/398821762.html
 
漂流教室 1987年
  もう会えない人たちのことを語り合う
 http://inatt.tokyo/article/431511222.html

異人たちとの夏 1988年
 てめえでてめえを大事にしなくて、誰が大事にするもんか
 http://inatt.tokyo/article/398821197.html 

ふたり 1991年
 饒舌な監督はそれでもあえて語る気がないことをたくさん抱えている
 http://inatt.tokyo/article/398821210.html

理由 2004年
 http://inatt.tokyo/article/398821630.html  

転校生-さよなら あなた- 2007年
 人の命には 限りがあるが、物語の命は永遠だろう
 http://inatt.tokyo/article/448836200.html

この空の花 長岡花火物語 2012年
 長岡花火は、とても綺麗だと毎年思うのですが、
 この映画を観ているので、
 他の花火大会の花火とはどこか違って見えるところがあります。

花筐/HANAGATAMI 2017年
 さあ、君は飛べるか、僕は...
 http://inatt.tokyo/article/476768897.html

海辺の映画館ーキネマの玉手箱 2020年
 映画に自分を塗り込めた。羽臼屋敷のおばちゃまのように
 http://inatt.tokyo/article/480250903.html





【TV出演など】

NHKきょうの料理 大林宣彦の大根カレー 1987年6月20日放送
 玉ねぎ、大根おろし、茄子、トマト、マンゴーなどが入っている
 カリカリベーコンを散らす
 白菜とベーコンと卵を煮たもののつけあわせ

私のこだわり人物伝 植木等 世の中スイスイ無責任 第一回「引き」の喜劇人 2007年
 日本人全員が、「無責任日本人」になろうとしていた時代なんですよ
 http://inatt.tokyo/article/398822085.html

新宿ミラノ座の閉鎖(2014) 荒野の七人と時をかける少女 2014年
 タイムリープしていたとしても当劇場は責任を負いかねます
 http://inatt.tokyo/article/455739288.html  

青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言 2017年
 作家の真実は映画を観て感じるしかない
 http://inatt.tokyo/article/453187435.html

目撃!にっぽん「それでも僕は映画を撮る〜監督・大林宣彦 80歳の決意〜」
 君たちは俺の未来だから、がんばれよ
 http://inatt.tokyo/article/462051557.html

クローズアップ現代 「大林宣彦監督 生きる覚悟」
 表現で過去は変えられないが、
 未来を変える力はあるんじゃないか。
 http://inatt.tokyo/article/474660109.html

映画で未来を変えようよ〜大林宣彦から4人の監督へのメッセージ〜
 カタルシスだけは絶対に描かないと、これが実はね、戦争映画を作ることの一番大事な点なんです。
 http://inatt.tokyo/article/478738063.html

大林宣彦、全自作を語る
 http://inatt.tokyo/article/478327615.html





大林宣彦監督追悼
 http://inatt.tokyo/article/474517318.html

IMDb
Nobuhiko Ôbayashi
https://www.imdb.com/name/nm0643171/





【論点】(書きかけ)

・「映像の魔術師」ではなく、「言葉の魔術師」

・1960年〜1963年頃の暮らし

・福永武彦に心酔する文学少年と自己プロデュースに長けた業界人

・企業の資金をふんだんに使い、広告を大量生産していた時代

・冒頭に映写機が回る音がする

  時をかける少女、さびしんぼう、花筐

・大林監督自身がナレーションを入れている

  廃市

・幽霊映画、化け猫映画

  ハウス、理由、この空の花、野のなななのか、海辺の映画館

・吸血鬼映画・生の象徴

  墓から血(形見)
  女性から血がたらり

・男はフラれる(あえていうと、尾美としのりはふられる・笑)

  時をかける少女( 吾朗、深町も )
  ふたり( 神永 )

・肝心なときに行動しなかった男

 時をかける少女、花筐

・お墓

 形見、EMOTION、転校生-さよなら あなた-、花筐

・白塗りの日本兵の行進

・キノコ雲・キノコ雲を見る子ども

 恋人よわれに帰れ

・エンディングがブギウギ

 野ゆき山ゆき海べゆき、海辺の映画館

・何故懐かしいと感じるのか

 尾道の風景(転校生)
 下町の両親(異人たちとの夏)

・死の気配

 青春〜の先生

・止まっている時計

 廃市、野のなななのか

・撮影、画面作りの変遷

 長野転校生の斜めに傾いた画面

・ブルーバック

 ハウスのときから、現実の背景を使おうとしていない

 晩年は、撮影場所が特定できると聖地化する現象を避けていたのか、どうか。

・作り物の背景

 嘘だとすぐに分かっても物語中の必然と受け入れることができたり、できなかったり。

 夏休みの旅行に出かける朝の青空と東京駅(ハウス)
  いつまでたっても、この東京駅が一番好きなターミナル駅だ・笑

 少女の部屋の外の景色(ねらわれた学園)
 
 浅草ビューホテルと花やしきが同じ方向に見える(異人たちとの夏)

 インターナショナルスクールの背景の山の手の家並み(漂流教室)


・リアルな背景


・曖昧な結末

 さびしんぼう

 彼のオートバイ、彼女の島(カラーの現実、モノクロの現実)

・ミュージックビデオ

 1970年代だったのでCMディレクターになったが、
 10年遅く生まれていたら、
 1980年代にミュージックビデオディレクターになったのかも。

 「HOUSE ハウス」のCHERRIES WERE MADE FOR EATING
 「ねらわれた学園」「漂流教室」のオープニングクレジット
 「時をかける少女」のエンドクレジット

 この部分に特に都会的な優れた感覚があったと思うが、
 それが一番やりたい好きなことではなかったようだ。


・あえて語らないこと

 実家との関係

 任侠の世界
  推測だけど、尾道にはその筋の方がたくさんいたのでは。
  尾道は夢の町ではない

・自己模倣を避ける、変わろうとする

 廃市が、
 やりたかったことを素直に表現できたものなのかもと
 思うときがある。

 同じ場所をくるくる回るように、
 同じような作品を繰り返し作り、
 自己模倣を続ける作家もたくさんいるかもしれないが、

 そうはならなかった。 


・「映画はウソから出た真(マコト)」

 大逆事件で死刑となった大石誠之助は、収監中に、
 面会にきた堺利彦に、
 「今度の事件は嘘から出た真(まこと)である。」と語った。
 (「道頓堀の雨に別れて以来なり」田辺聖子)

 監督が「だから、映画のウソのほうが〜」と言うかもしれない、現実の恐ろしさ。





20210130にNHK総合で1980年の山口百恵のファイナルコンサートが放送された。



興味深いお話。
嘘や間違いはないとしても、
山口百恵は本当に歌えなかったのか、歌いたくなかったのか、
内面は、外面や発言と同じとは限らない。
あるいは、
同じ画も語り方ひとつで別のものに見える、
大林宣彦監督らしい述懐に思えます。

( 「もう、忘れました」と言って断っただけの可能性も )

( 大林監督は、
  山口百恵はスパッと芸能人を辞めたのだ、
  と言いたかった、
  思っていた、
  のだと思う )







ラベル:#大林宣彦
posted by inatt at 07:50| Comment(0) | #名刺がわりのリンク集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。