「生き方」
とは、
「辺張待ち(ぺんちゃんまち)」に対してどのような行動をとるか
ということなのかも
どんな名勝負も後ろから(紙の上で)眺めていたところで身につかない
それは作者の作品群にあまた登場する、
黒い背広に黒いサングラスの男たちを見れば分かる
とは、
「辺張待ち(ぺんちゃんまち)」に対してどのような行動をとるか
ということなのかも
どんな名勝負も後ろから(紙の上で)眺めていたところで身につかない
それは作者の作品群にあまた登場する、
黒い背広に黒いサングラスの男たちを見れば分かる
福本伸行のマンガ。
第16話までは1986年〜1987年に連載。主人公は大学2年生。
「天」や「アカギ」より前の作品です。
私は掲載紙を毎月読んでいました。
現在の作者の作風とも、
掲載紙の他のいわゆる麻雀マンガとも
異なる雰囲気の作品であったことを覚えています。
かといって、一般マンガ雑誌に掲載されるような感じはしない・笑。
70年代以前の青春もの作品のような気配もあります。
第16話でいったん連載終了しています。
ということは、あまり人気がなかったのかもしれませんが、
とても印象に残った作品でした。
「アカギ」などが人気になったあと、
第17話から最終話(第21話)までは1994年〜1995年に連載。
第16話から7年経ったとされていて、作中の出来事は1994年9月。
1987年に第16話までで、全1巻の単行本になり、
1995年に最終話までの全2巻の単行本として再発行されています。
作者が「アカギ」「カイジ」などで人気作家となったあと、
初期作品をまとめたものが2004年と2008年に発行され、
本作品もあらためて出版されています。
(掲載/発行年月はWikipediaからの引用)
私はそのいずれの単行本も購入した記憶があり、何度もこの作品を読んでいます。
第10話(HEAT.10)「若者へ」が忘れられないからです。
いや、忘れていたことを、何度も思い出させられたからです。
物語は1986年12月24日から始まる。
浮浪者歴13年の70歳を超えたおじいさんが登場し、
余命3か月で入院するも、
何度も主人公に「おらをかつぎ出せ」と頼み、
病院を脱走し雀荘に行こうとする。
主人公は、おじいさんのことを
「自由で奔放で楽天的で」「最後まで情熱的に生き」たと考えるが、
おじいさんの死後、残した手紙を読むことになる。
反則かもしれませんが、
その手紙を全文引用します。
「
気が付くとボーっとしちゃう若者へ
ありふれた若者へ
70年生きて経験のある事だから話します
私は怠惰でした
よく1日頭が痛くなるまで寝ました
私は食事の後、風呂の後、酒の後、何かを3時間以上続けてした後眠くなるのです
ほとんど絶望的に怠惰な人間でした
やりたい事はやまほどあるのに体を動かす段になると億劫で結局何にもしませんでした
精神だけでフワフワ飛んでいけたら私はどんなに行動的だったことでしょう
自分が考えているよりも自分の体はズーッと重いのです
自分の重さなどという事も寝込んで立てなくなってから気が付きました
そしてその「怠惰」という重さの弊害も…
このふたつに抱きつかれたら誰だって一歩も動けません…
でも…
いいかげんなところでふっきらないといけません
なんといってもいけません
「よいしょっ」とかつぎ出して下さい
自分の体重と怠惰を…
どうもそれ位の気構えじゃないとダメみたいです
病院で動けなくなってから愚かにも私は気が付いたのです
無性に生きたくなった…
私は今までの人生がたまらなかった
私がやる気になった時もう体は動かなかったのです
未来あるみんなへ
ぜひ自分をかつぎ出して欲しいのです
怠惰と体重をふりきって…
自分を街へ
人へ夢へ
明日へ
どうかできましたら
私の事を他人事だとか特別だとか思わないで欲しいのです
私は昔
気が付くとボーッとしている若者でした
ありふれた若者でした
」
1980年代に大学生だった筆者は、
授業にも出ず、やりたいこともなく、
だから、テレビゲームやパチンコや麻雀をして、
(だから、麻雀マンガ雑誌を読んでいる)
このマンガの第14話に出てくる、
午前5時の歌舞伎町に佇む雰囲気がよくわかる。
そんな自分にこの手紙の内容が突き刺さりました。
自分は怠惰なんだと。
そして恐ろしく思いました。
死ぬ前に同じ思いをもつことになったなら。
作者はこの老人が特別な人と考えていないから、
この手紙を提示しているわけです。
そして、とても残念なことに、
このマンガを読み返すたび、
自分は怠惰に人生を送っている、
と思い出させられるのです。
性懲りもせず。
2020年に、10年ぶりくらいに、
また私はこのマンガのことを思い出しました。
最初にこのマンガを読んでから30年以上経ちました。
もう、忘れないよう、たびたび思い出せるよう、
自分に向け、このエントリーを作成しました。
(鬱病の人に頑張れと言ってはいけない、
ということが常識になっている今、
動き出せない人に鞭するようなことを言っているように
受け取られてしまうかもしれませんが、
それは当エントリーの趣旨ではありません)
(手紙のおじいさんに今、思うこと、
このマンガ全体のこと、
辺や山崎は今どうしているか、
福本伸行の作風の変化、
など、
まだ書いてみたい話題はありますが、
またの機会にします)
本作で主張している、
前向きに生きることと、
麻雀にのめりこむことは矛盾している・笑。
麻雀マンガ雑誌に載せるマンガなんだから、
というのは置いておいても・笑、
そんな矛盾が、
福本氏の作品の味なんだと思うのですが、
ただ、
刺激的な勝負の描写を
たくさんの人が消費することにより、
作者の作品群がメジャーになったのは、
皮肉というか、
それが世の中というか、
いろいろ思うところがあります。
カイジが、
「そうだよな、地道に生きよう」
と言ったら、話が終わる・笑
でも、
本作の最後で登場人物が手にした大金も、
結局、身につかなかったであろうことは、
断言できる・笑。
本作は私にとって、
ずっと忘れないでいたい作品ですが、
辺ちゃんやカイジをお手本に生きてきました、
なんて人はいるのだろうか...笑。
覚書
・「人は俺を見てなんかいなかったよ」(第5話)
・どんな名勝負も後ろから(紙の上で)眺めていたところで身にならない。
それは作者の作品群にあまた登場する、黒い背広に黒いサングラスの男たちを見れば分かる。
ラベル:#これで育った