2022年04月28日

【ドラマ】 カムカムエヴリバディ 2021年 ( 各EPISODEの感想 )



2021年の朝ドラ、
カムカムエヴリバディ ( A family story that spans 100 years Come Come Everybody - Since 1925- )

の各回の感想


( 全体の感想

   http://inatt.tokyo/article/484027652.html )






■EPISODE001 第1週「1925-1939」


冒頭のピアノソロの劇伴は、冒頭に必ず必要だと追加で発注されたものとのこと

そのとき既に、誰が作曲、演奏したもの、というアイデアがあったのか、どうか。


「あかにし」の店に「損得にこだわる餘り儲け減る」の張り紙

たわしを買いにくる「転ばんように気をつけられえよ」

 ( 赤螺屋 )

「安子へ
 ちょっと早ええけど
 クリスマスとやらの
 おくり物じゃあ。

 おぢいちゃんより」

 最初から、京都らしい話しぶりの清子さん


■EPISODE002

小豆の声を聴けえ。
時計に頼るな。目を離すな。
何ゅうしてほしいか小豆が教えてくれる。
食べる人の幸せそうな顔を思い浮かべえ。
おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。おいしゅうなれ。
その気持ちが小豆に乗り移る。
うんとおいしゅうなってくれる。
甘えあんこが出来上がる。
ほっ。

人間だって、ちょっとはみ出すぐれえが、味があろうが。


算太が安子に踊ってみせるところ、

撮影時は、EPISODE094と同じ曲、
メインテーマ 、外山喜雄Vocalバージョン「Keep Smiling」

にあわせて踊ったそうです。


■EPISODE003


うちのあんこは絶品なんです


■EPISODE004


あさりのお味噌汁は稔の好物


顔上げて、漕ぎ続けとったら、前、進むから


DiPPERMOUTH BLUESでかかっているのは、「Tea for two」


May I put sugar in your coffee?


■EPISODE005


きぬちゃんの「へえ〜」二連発・笑

「お菓子ゅう食びょうる人の顔を見るんはもっと好きです
 甘うておいしいお菓子を怖え顔して食べる人はおらんでしょ
 怒りょっても、くたびれとっても、悩みよっても
 自然と明るい顔になる、それが嬉しいんです


祭りでの吉右衛門の写真を撮る吉兵衛


May I write a letter to you?

Of cource, I will write to you in return.



■EPISODE006


「稔さん、小豆の収穫の季節です。
 毎年、取れたての小豆でおばあちゃんがお汁粉を作ってくれます

「お店のお菓子に負けない美味しさです


■EPISODE007


「何かご迷惑をおかけしたんじゃ」
「いや、直接ってわけじゃ...」
「すんません」




稔が軍人に宴席で挨拶するなども含めて安子の運命の方向性が切り替わったことが描かれていたのですね。


■EPISODE008


「ちなみに、おじいちゃんとおばあちゃんは、恋愛結婚じゃ」

( 杵太郎さんのどや顔・笑 )


「棗黍之丞 仁義剣」(第2作)



■EPISODE010

橘家の庭に咲く紫陽花の花


■EPISODE011 第3週「1942-1943」

週の始めの回のアバンタイトル、

・「わしゃあ吉右衛門にひもじい思いさせとうねえんじゃ」
という父の思い。
・足袋はともかく、学生服の布地の支給は承認してもらえないので軍服を作るしかない
・学生なら軍服を着せられんで済むもんね
・杵太郎のご愛用の足袋
・母が作る赤いチョッキ

あとから観返すと、
ひとつひとつの台詞・シーンに詰め込まれた意味の濃密なこと。


■EPISODE013

冒頭、庭の紫陽花を切り花にする小しず母さん。

ラジオが伝える偽の戦果。


■EPISODE015


・美都里が贈った簪?

・出歯口の憂鬱


「どこの国とも自由に行き来できる。

 どこの国の音楽でも自由に聴ける

 自由に演奏できる

 僕らの子供にゃあ、そんな世界を生きてほしい

 ひなたの道を歩いてほしい」


「稔さん、意地悪せんでください」



■EPISODE017


影が滲むように色が変わっていく紫陽花、黒く光る旭川


岡山大空襲は、1945年6月29日だそうです。


■EPISODE019


復興し始める商店街の遠くに焼けたあかにしの看板が見えるけど、
赤螺家がどうなったのか何も触れられない。

「菓子は苦しいときほど必要なもんじゃとわしゃ思う
 たちばなの菓子で救われる人がきっとおるはずじゃ

お芋をつこうたおはぎみてえなもんです

男の子(山之内亮)

あのガキが帰ってきたら、算太も帰ってくる



算太の言い様はなんか変だなと感じていて、
あっと気づいたのです。
そしたら、
身体の中から強い衝撃が膨れ上がってきて、
耐えられず、
机をばんばん叩いて、
物理的に外に出すことしかできなかったのです。

恐ろしいドラマ鑑賞体験でした。

最後に流れる劇伴の題名は「家族の絆」



家族の絆 - 金子隆博
[iTunes]家族の絆 - 金子隆博






ラストのシーンの衝撃は、
「御菓子司 たちばな」の人たち全員が笑っているところから、
ナレーションひとつで谷底へ突き落す、
第1回から19回分の物語の
てっぺんから底辺へ
一瞬に落下させる、
朝ドラ史上最大の「高低差」からくるものだと思います・笑。

ラストシーンを数限りなく繰り返し観ていますが、
その後が語られることのなかった、
橘家の人々の後ろにいる3人の職人さんたちの
戦中戦後に思いをはせるようになりました。



■EPISODE020


「おはぎゅう、2つほど食べたら、なんか、元気になって


「どねえなことでもええ、
 ちょっとずつ商いを始めて、 
 しっかりと生きていかれえよ


「稔さん...意地悪せんで...帰ってきて、稔さん」



■EPISODE021



■EPISODE022



・「少し冗長」「この人なら世話焼きしてくれるかも」

・・・余分に面白シーンを増やしていると感じたのだが、
   これがあるので、
   後に、いきなり訪れても部屋を貸してくれる人だと感じさせる一助になっている。


■EPISODE024

パーマネント
ラジオ受信機
甲子園
自転車
「たちばな」の幟


■EPISODE028


「安子さんは、諦めたんじゃ思います。
 女手一つで、るいちゃんを育てることを諦めて、
 雉真の家にお返ししようと決めたんじゃ思います。


■EPISODE029


Traditional Japanese sweets.

A sweet paste made from red beans.


■EPISODE032



■EPISODE037


「いってらっしゃい、算太おじさん」


「るいはこのままこの家に住むんじゃ」


「雉真繊維の力がなかったら、治してやれん」


「算太叔父さんが先に行っとるから、お母さんもいかんと」



■EPISODE038


「私はただ、当たり前の暮らしがしてえだけじゃのに。

お父さんやお母さんが私にそげんしてくれたように、

るいを温かこう見守って育ててやりてえ、それだけじゃのに」



安子は、

稔に、「意地悪せんで」
ロバートに、「アメリカに連れていって」

と頼む人でした。

娘と孫はどのような人物として描かれるのか。



ーー



脚本に「安子の中で何かが壊れた」という記述があったと聞きました。
どうすればよかったか、正解を述べているツイート・笑。

ーーー

地獄のピタゴラスイッチ



■EPISODE039


「るいは、二度と戻らないと心に決めて、
 岡山を、そして、雉真の家を去りました」



巧みな第2部第1回でした。

安子の物語を土台に、
描かなかった10年分の時間を
なにげない描写で観る人に豊かに想像させる。

英語の代わりにキャッチボールを教え、
るいの相手をしてきた勇。

( おそらく自転車もあの河原で教えた )

かつて安子とるいを逃がした彼は
るいが出ていくといっても引き止めない

おせんべいを手で割ってから口に運ぶ、
るいの育ちのよさ。


連続テレビ小説第1作「娘と私」最終回放送は1962年3月30日だそうです。

ミュージカルシーンは
るいのわくわくした気持ちの表現だけでなく、
鬱展開に終わった前回の雰囲気を変える意味、
観ている私たちの気持ちを切り替えさせる
意味があったと思います。


名前が重要な 藤本有紀脚本で、
(タミさんだって苗字があるのに−村野タミ)
苗字が示されない雪衣には、
隠された物語があるのかもと思っていたのですが。

「雪衣」という名づけには、
この物語の他の登場人物たちとは、
少し違った雰囲気を感じます。

( 「私ゃあ肉親が縁が薄かったから嬉しかった」EPISODE107 )

雪衣は、
安子も知らない算太の失踪の原因を察している
唯一の人間ではあります。(EPISODE037)





雪衣は、朝ドラ視聴者の具現化なのかも。

朝ドラ好きに悪い人はいない・笑

誰もが、過去や現在の日々について、何らかの憂さを抱えていて、

毎朝、物語を摂取することで、日々を暮らす力を得ていることがある。


■EPISODE041

あわれの・こわもての田中さんは、
主人公の進路に
ちょっとした分岐点を造りに現れる。
さて今回は。


■EPISODE042

第9週の次週予告は、
シーンや台詞をばらばらに並べ直して、
全然別のお話のように見せていましたね。

伴虚無蔵初登場(斬られる侍)
( 一度切られたあと、もう一度立ち向かいがち・笑)
(その他に、おしゃれな女やらすかした男やら宇宙人やら・笑)

総天然色人気シリーズ第20弾
棗黍之丞 女狐乱れ桜
女には裏がある。悪党には欲がある。今宵も黍之丞見参!


「やっと出番がきたなあ」

アイロンをかけた白いハンカチ



風が吹き、劇伴が止まり、無音になり、
街の雑踏の音だけが戻ってくる。


(スローモーションでも、表情や感情の変化の動きがわかる演技)


年末最後の回(2021年12月28日(火)放送)なので、最後は次週予告。
(それにしても「ゆでだこ」で終わる)


■EPISODE045


第5回サマーフェスティバル 1962年8月11日(土)



■EPISODE047

地蔵盆のお知らせの横には、

朝のラジオ体操に関するお知らせも貼ってありました。


■EPISODE048


「会いたいんやなあ、お母さんに」


お祭りの屋台で買うてきたもんで、晩御飯って、ええなあ。


「失礼やなあ、もう、ごめんなあ、大塚君」(おばちゃん得意の必殺技らしい・笑)



■EPISODE050


関西ジャズトランぺッターニューセッション
1963年8月10日(土)チケット200円


■EPISODE051



■EPISODE052



■EPISODE054



素晴らしい「シーン」という感想と同時に、

素晴らしい「ドラマ作り」という想いが湧きました。

4つの視点( 舞台、舞台を見るるいやベリーたち、映画の殺陣、映画を見る竹村夫妻 )

次々に重なって、ひとつになって観る人に向かってくる。

映画はシネマスコープサイズになるのが効果的


朝ドラ史上に残る名シーン。( 演出 松岡一史 )



「これは朝ドラ史上、類を見ない圧巻のシークエンスです」



(  EPISODE110の演奏と岡山マラソン・笑などを併行させるシーンと比べると
  このシーンの編集などがいかに素晴らしいか改めて感嘆しました。)



■EPISODE055



■EPISODE058

ジョーは治る、絶対治る、そやから空けとけ
(録った音もや!)

ベリーとるいとのやりとりを
離れたところから見守る竹村夫婦。

( 画に奥行がうまれ、
  画面の端にぼやけて映っていても
  夫婦が心配していることがよくわかります )


■EPISODE061



■EPISODE062


「顔あげて、漕ぎ続けとったら、前へ進むから」





(おとうちゃんが「あきお〜」と呼びにきた)

・るいは錠一郎の治療のために貯金をしている−「錠一郎積立」という封筒

・初美「こんにちは、たわし一つください」
 ( 吉右衛門はふたつ渡している(中の人のアドリブ) )

・センバツで岡山東商が優勝した1965年4月4日がひなたの誕生日


■EPISODE066


「志を失わなければ、きっとなれますよ」



■EPISODE069


ドリフ、サザエさん、マルコ、百恵キャンディーズ、ノストラダムス、ガラスの仮面...



そんなひなたの存在が、
るいやジョーの救いや安らぎになっている描写を新鮮に感じました。

・「マヤと亜弓『さん』、どうなった?」

マヤは呼び捨てで、亜弓には「さん」をつけているのは、とてもリアル・笑。

母をたずねて三千里 

第1話の題名は、「いかないでおかあさん」
遠い異国へ船で出稼ぎにいく母を見送るマルコ、

るいはどんな気持ちで観ていたのか。

( 「なつぞら」 の世界ではマコプロが制作してるはず・笑)



・ひなたとるいが口ずさんでいたのはエンディングの曲です。

 海の向こうにいるお母さん
 「とびこみたいんだ かあさんのむねに」


■EPISODE070

「るいは、追いかける人」という呟きを見ました。

るいは、ジョーもひなたも追いかけて、抱きしめた。

それが母にして欲しかったこと。


■EPISODE071

おしん第1回の放送は、1983年4月4日(4月4日はひなたの誕生日)

第7回(筏のシーン)は1983年4月11日放送。

おしんが人生を振り返る旅に出たのが1983年の春
同じ頃、ひなたはやりたいことがないことに悩んでいる。


「人気シリーズ第二十一弾
棗黍之丞
妖術七変化 隠れ里の決闘」
のポスターの右上に
桃山剣之介のサイン色紙があり、
日付が1976年8月21日だったので、
これを桃太郎の誕生日とすると、
甲子園で桜美林高校が初優勝した日だそうです。
(大月家にはモモケンの色紙が2枚あることになる・笑)


■EPISODE073

この、ちょっとはみ出す感じ、
これが、ひなたなんやろね。


(茶杓を軽う打って、お茶を払て、)
そない大きい音立てたらあかん。


■第17週予告

「おえん」と岡山弁を話す白髪頭の老人がでてきましたが、

安子編の終わりごろの番宣で、
濱田岳さんが、
算太が失踪したときとは異なる、
茶髪っぽい髪、
昭和30年代風の衣装で、
インタビューに答えていたのをみたので、
るい編で登場するのかと思っていたのですが、
実は、
先の物語で回想として出てくるシーンを
いくつか撮っているのではないか、
という妄想を抱きました。(20220219追記)

(84回の映画館のシーンの衣装だったかどうか
 よくわかりませんでした。20220301)

あと、ひなた役の人が、
今のところ、かけらも見せていない、
英語の勉強をたくさんやっていると、
記事で紹介されており、

これからの展開が全然読めない・笑。


■EPISODE079



映画村の休憩所は、天井が高くて、高いところに映画ポスターが貼ってあり、
休憩所を見下ろせる中二階のような物置きになっている場所がある。
撮影のセッティングの手間が増える、
わざわざそういう間取りにしているところ、気になります。

( ナイト・アンド・デイにも中二階の客席がありました。
  作り手のどなたかのこだわりですね。    )

大月家の食卓にケチャップがない!

謎の振付師が指揮したCMは、
浮かれふざけていて、80年代を感じた・笑


■EPISODE082

「もうええわ、あほう」が好かった。

( 神奈川県出身の中の人のことを、
  松重豊さんが、「耳と感覚の良さには驚きました」と言ったとのこと。
  https://news.mynavi.jp/article/20220225-2279694/ )



人間、少し前のことを綺麗さっぱり忘れていたりするし、
ふいに思い出したりする。
ひなたの右手の傷が話題になったので、
中の人の右手の親指の傷の事件のことを突然に思い出したりした。


( 後の「義経のスマホ」で、
 スマホを操作する手は、中の人本人のものだそうです )


■EPISODE083


「私はスターですよ。大部屋なんぞに、軽々しく声はかけません」

いろんな意味が幾重にも重なっているのかも。

(初代はあなたがただの大部屋と思っていないから声をかけたのです)
(私はスターとして自分に自信がもてるまであなたに声をかけることができなかった)
(スターが自分より上と言われた役者のことなど口が裂けても言うはずがありません)

「(二代目、あなたこそ、スターです)恐れ入りました」

けれど、

「暗闇でしか見えぬもの」に
お互いに、20年も、思い詰めて、

スター俳優は真の主役の色気を、
伝説の大部屋役者は深みのある苦みを、
身につけたのかもしれない。

( 〈カムカムエヴリバディ〉算太、モモケン、虚無蔵 おじさまたちが大活躍で、ヒロインひなたはどうなる?
    
    https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20220301-00284406
   
   石川「台本のト書きには『偽悪的に』と書いてありました。そのバランスがすごく難しいと思いましたが、尾上菊之助さんが、大部屋とおれは違うと言いながらも優しさがあふれているような表情を一発で表現してくださってすばらしいと思いながら撮影しました」





■EPISODE084


「志を失わなければ、きっとなれる。侍にだって、なんだって」


「うちのあんこは、絶品ですよ」


ひなたは、母からでなく、モモケンからあんこのおまじないを知った。
それを五十嵐に使ったり、母に伝えたり!するのかもしれない。
「過去の出来事の答え合わせ」に留まらない「伏線回収」「ロングパス」が
これから描かれる(「バトンを渡す」)のか。
算太も「ひなたの前に姿を現しませんでした」としても、
ひなたに見えないところで、
別の形で彼の決着がこれから描かれるのかもしれない。


■EPISODE085


「相手のこと、思う気持ちや。それだけのもんや」


ひなたと文四郎は、
仕事と私生活がごっちゃになっているような、
まだ、未熟な、幼い若者なんですね。
それでも、
映画に初起用された文四郎の今が
「正念場」であることをふたりともに感じており、
だからこそ、
感情も激しく揺れる。


茶室の掛け軸は日ごとに変わっていました。

喫茶去(きっさこ まあ、お茶でもお飲みなさい)」

和敬静寂(わけいせいじゃく・茶道で、主人と客が互いの心を和らげてつつしみ敬い、茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つこと)」


■EPISODE087


安子やるいにはなかった、ひなたのぼんやりとした不安、

それがノストラダムスなんかなと思います。


■EPISODE089


「だいたい、大月さんが、CDみたいなもん、買うて聴くわけあらへんやろ」



■EPISODE090


大人からの餞(はなむけ)の言葉


「どこで何をして生きようと、
 おまえが鍛錬し、培い、身につけたものは、おまえのもの。
 決して奪われることのないもの。
 一生の宝とせよ」


「これから、いろんなことがあると思うけど、
 それが 五十嵐君の選んだ道やったら、
 きっとそれが、
 それは、五十嵐君のひなたの道になるから。


Life can be so sweet
On the sunny side of the street 


ひなたの道を歩けば、
きっと人生は輝くよ


斬り捨てて始まった恋が、斬り捨てて終わる



■EPISODE091

It’s kaiten-yaki.
Traditional Japanese sweets filled with anko.
It’s a sweet paste made from red beans.

I am writing a letter.


■EPISODE093


「それでも人生は続いていく」


ーーー

ジョーのボケは、おいでやす小田さんのつっこみがあって成立している。

( 計算尽くのキャスティング・驚 )


ーーー

ナレーション「ひなたはなんとか手っとり早く英語を身につけたいと考えていました」

とは、よく考えるとおもろい・笑
聞き流し教材を映してるし・(2周目)



■EPISODE094


「ちょっと、迷子になってしもうたんじゃ」

逃げて逃げて迷子になった算太にも、

確かにon the sunny sideはあった。


ラッパを吹く男の子(クレジットは「ラッパの男の子(田幸季)」)は

ブギウギでは、服部克久・笑


ーー



ひなたが「大阪の竹村のおじちゃん、おばちゃん」と
慕っている世界線も期待していたけれど。



■EPISODE096


「おばあちゃんの写真は?あらへんの」
「確かアルバムと一緒にしてえたはずじゃ」
 の間、雪衣の表情は映らない。


ひなたの服装がポスターの服装と同じになった


定一の写真に供えられたたちばなのおはぎ


ディッパーマウスプルースにはアップライトピアノがある



■EPISODE097


「どこの国とも自由に行き来できる」
「どこの国の音楽でも自由に聴ける」
「自由に演奏できる」

「るい、お前はそんな世界を生きとるよ」


急がず
無理せず
自然に
覚えられるだけ
1日1日
新しいこと


1994年8月15日、平川唯一さんの初盆なんですね。


( 平川先生が見ている原稿は、
  読んでいる部分は、
  四角に囲って斜線が入っていて、
  原稿として削除した部分であるようにも見えます。

  また、2度目に映る原稿は、
  講座の最終回の結語の部分のようです。

  作り手の意図や経緯があるのかもしれません。 )  


物語の構造が特異なこの朝ドラで、
戦後の歩みと同じ生まれに設定された
主人公の一人が
30年間、
毎朝、あずきを炊き、
ラジオの英語講座を聴き、
回転焼きを焼き、
暮らしていたが、
50歳を迎えて、
アメリカに渡り、母を探そうとする。
私は、自分の「ひなたの道」は何だろうと
少し怖いことが頭をよぎるが
3人目の主人公がこれから何をしようとするのか、
見守りたいと考えた。


■EPISODE098





トミー北沢の中の人(早乙女太一)がまだ30そこそこながら、
「女ははべらすもんや」と言い続けながらも、
実は女房の尻に敷かれている、
自由人のジョーよりも
おっさんくさくなっていることを演じていて感心した。

( 「いつか、また、
   お前と、トランペットでセッションするのが、俺の夢やった」 )


健一さんが、
画面には映らないけど、
コーヒーカップを温めるとか、
コーヒーを出す手順を丁寧にやっているようだった。


( 細かい揚げ足とりですが、
  トミーの携帯は、
  1994年にはなかった形のように思う。
  王様のレストラン(1995年放送)で、
  国会議員の携帯はトランシーバーみたいな形状だった。
  折りたたみは、
  どんなに早くても1997年の室井さんあたり・笑。
  ドラマに、
  1年単位でその年の携帯を提供する
  専門の小道具屋さんはないのかしらん。
  気になるところは人それぞれという話・笑 )



■EPISODE102


ひなた、「毎朝」ラジオ講座を聴いていると言ってから、
ラジオ体操カードの話をするのは、
歴史の改竄だと思う・笑。


I’m sure it will take you somewhere you never imagined.


オードリー」は、2000年下期の朝ドラ

■EPISODE106


ハンパな夢のひとカケラが 不意に誰かを傷つけていく
臆病なボクたちは 目を閉じて離れた
キミに言いそびれたことが ポケットの中にまだ残ってる
指先にふれては感じる懐かしい痛みが


いつだって僕らは誰にも邪魔されず
本当のあなたを本当の言葉を
知りたいんです 迷ってるふりして


■EPISODE107


「みんな、間違うんです、みんな」


ミュージカル調のドラマが『見上げてごらん 夜の星を』と歌ったのは、
てるてる家族」第67話の放送、2003年12月15日だそうです。


■EPISODE108


ジョーがカムカムエヴリバディのテーマを弾きながら譜面に書き込みをしていた。
(作曲していた?)

普通に、会話しているが、
コロナにより、ひなたは、まる2年、日本に戻ることができなかったのでは、と思った。

トーストにあんこが添えられている、ディッパーマウスプルース

テーブルにアクリル板...( だが、支払いは現金のみ )


ーーー

「昼前から開演して、終演までの間、お客さんが自由に出入りできるようにしたんです
あとでそういう動きをする登場人物がでてくるから、
朝ドラクラスタが文句を言わないための説明台詞

「スポンサーもついたんです
ポスターには、協賛・(株)たちばな

「ジャズは野球じゃ」


■EPISODE109

磯村吟・浜村淳という素晴らしい当て書き



■EPISODE110



( 撮影の都合かもしれませんけど、)
 お城や神社のシーンはアニーひとりしか映らず、
 ひなたは商店街にいるところしか映らない。
 だから、実際には、
 アニーも商店街から出てはいないとも考えられる。


■EPISODE111


Choose the path with least regrets.
Choose the sunny side of the street.


朗報、勇氏、ついに、名前の由来を当てる・笑



■EPISODE112


・稔さんの辞書を見て、安子はひなたに留学を提案した。

 ( 安子のなかに、稔の言葉が残っている。
   「ひなたの道を歩いてほしい」 )


・「僕と付き合ってください」「それでええ」


・「桃太郎のオチ」



ラジオから「桃太郎」のお話が流れるなか、
桃に届いた日本語で書いたジョージからの手紙。(2011年の年末)
(店には踊るサンタの人形も)
穿ち過ぎなんだけど、
ジョージの名字やローズウッド家での位置が明確でないので、
Curious George(おさるのジョージ)と言われると、
どこかから急に連れてこられた、
もとはひとりきりの境遇なのかと
ちょっと怖い妄想をしてしまった。

・語り

「ウィリアム・ローレンス」とクレジットされており、
ナレーションはすべて、英語講座のテキストだったことを明示。


・英語講座は続く、だから、この物語も続いていく

”Hinata's sunny side English"は、2025年3月まで放送され、
2021年か2022年あたりに桃太郎と剣とジョージのチームが、
甲子園に出場するところまでのお話でした。

英語講座は続くことになったので、
その先のひなたたちの物語も、続いているはず。


・1925年(大正14年)3月22日生まれの安子が先週100歳になったというので、
 最後のシーンは、2025年3月24日(月)〜30日(日)あたり。

( 2025年の映画村にはマスクをしている人はいない )


Why don't you come over to my place?
Let's enjoy kaiten-yaki together.


・最終盤に登場しなかったこと・もの

片桐さん(名前は春彦さんです)
雉真昇
算太の通帳(手をつけずに大事にとってあるんだろうか)
西山太(誰?笑瓶さんです・笑)






And, this is the very end of a family story that spans on hundred years.




posted by inatt at 06:43| Comment(0) | ・感想など・TVドラマ・NHK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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