2022年09月27日
「私の中の二十五年」 三島由紀夫 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。」
初出は昭和45年7月7日産経新聞夕刊に掲載されたという随想を「終わり方の美学」(徳間文庫カレッジ)で読んだ。
小文は、以下のように締めくくられている。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
私がものごころが付いたのは、三島由紀夫がこのようなことを考え、同じ年の11月に世を去ったあとであり、そういうことを知らぬまま、50年以上を生きてから、2020年の秋にこの文章を初めて目にした。
私には、この文章が令和の今の日本を予言したもののように思えた。
三島は1945年から25年を経て、ひとつの感慨をもった。
昭和は戦後だけで40年余り、平成は30年余り、
それらの年月があれば、三島でなくても、
ひとつの感慨を持つには十分な時間かもしれない。
三島は、1945年時点で「戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス」を憎んだと言っている。(ここでいう「バチルス」の表すものを私は正確に捉えることができない)
そして、戦後12年間はそれに抵抗するのに冷笑でしかできず、そののちに、「自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。」と記している。
25年間に三島が行動したことについて、自らが記していることは、何やら言い訳めいて聞こえるところもあるが、それはそのまま私自身の50年間に討ち返してくるものでもある。
これからの「時代」「社会」でどのように暮らしていくか、この文章を心に置いておきたく、このエントリーを覚書することにした。
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