2021年01月23日

【将棋】 勝負が終われば駒は1つの箱に入る



将棋に関する格言や言葉のなかで一番好きな言葉が
「勝負が終われば駒は1つの箱に入る」

この言葉を知ったのは、勝又清和六段(当時)の
電王戦FINAL第2局観戦記 (20150325)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw1511773


会見の後、永瀬と西海枝と3人で話した。永瀬が「駒組がうまいですよね。良い配置にしていつのまにかリードされる」と言うと、西海枝はプログラムの工夫に気がついてもらえた事が嬉しいのか、「そうです、そこを工夫しています。3駒間の関係を3駒絶対と3駒相対と2駒と‥」、それを私が訳しながら永瀬に伝える。勝負が終われば駒は1つの箱に入る。笑顔で二人は別れた。


この言葉の大元のひとつと考えられるのが、
将棋世界 1989年5月号「内藤九段の検証詰将棋&エッセイ」の
「将棋の教訓」という文章。

・古いイタリアの諺に「王も歩も、ゲームが終われば一つの箱におさまる」というのがあると聞く。
・故熊谷(達人)八段の次の言葉を想い出した。
「将棋の駒はね、戦いがすむと敵も味方も全部一つの箱におさまる」
・チェスにおいては、(駒の色が違うから)敵と味方は別々の箱にしまう。
・ひとり日本の将棋だけが、ゲームが終わると王も歩も、敵も味方も一つの箱におさまってしまう。
・人生は一局の将棋なりという、その人生のゲームも終われば……。

・戦いが終われば、仕事を離れれば、地位のこととか敵味方のこととかきれいに忘れて仲良くしよう。これが将棋の駒から我々が得る教訓である。


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2020年12月26日

20130601 【書籍】 ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ



20130601記
 
「教科書」という名乗り方に少し反発を覚えますが、

とても印象深いところがありました。


カレンバックとの対談のなかで宮崎駿が、
死の海になった水俣湾で漁が出来なくなり、数年たったら、
魚の群れがやってきて、岩にはカキがいっぱいついた、
というエピソードに感動したといい、
それは食べられないという指摘にも、
「食べなくていいと思ったんです。
 彼らは、人間がバラまいた罪悪を一身に引き受けて生きている。」

また、

家の庭の枯れた丸太に
羽蟻がいっぱい出てきて飛び立とうとしているのが発見されたとき、
宮崎駿は、燃やすなと言ったが、
近所や自分の家へ害をなす可能性から、
奥さんはきっぱり「燃やしたわよ」

ナウシカで描かれていることは、
架空の話、誇張された話でなく、
この世そのもののお話なのだなあと思いました。

食べられない魚で豊かな水俣湾は、
風の谷であり、
岩カキは、
ナウシカであり、

そんなことに関係なく、
想像のつかないところの論理から、
神の鉄槌により、世界が抹殺されることもある。

神とは、崇高な存在でも公平な存在でもない。  
  

ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ (文春ジブリ文庫)
スタジオジブリ

ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ (文春ジブリ文庫)
ジブリの教科書2 天空の城ラピュタ (文春ジブリ文庫) シネマ・コミック1 風の谷のナウシカ (文春ジブリ文庫) ジブリの教科書3 となりのトトロ (文春ジブリ文庫) 作画汗まみれ 改訂最新版 (文春ジブリ文庫) シネマ・コミック2 天空の城ラピュタ (文春ジブリ文庫)
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20201225記

日本テレビ、金曜ロードショーは、

コロナ禍の年、2020年最後の放送の演目に、

「風の谷のナウシカ」を選び、

「マスクをしないと生きられない世界で1人の少女が未曽有の危機に立ち向かう!!」

と宣伝しました。

なるほど、と思うところと、

なんか違う、と思うところがありました。

ナウシカで語ろうとしていたことと、

人間と病原菌との関係は、

また違う話のような気もしています。




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2020年11月18日

20201112 【TV】 アナザーストーリーズ 「名人がAIに負けた日」



NHKBSプレミアムの番組、

2001年宇宙の旅」などの昔から、
人間が人口知能に(AI)に得体のしれない不安を感じることが示されてきましたが、
棋士と将棋ソフトとの関係は、それを実地に経験する出来事として、
かねてから強い興味を持って見てきました。


当番組中、

AIと棋士との対戦について、

「それは図らずも人間のあせりや恐怖、一時の感情に左右され、失敗を犯す弱さを浮き彫りにしました。」

という発言がありましたが、


それは対局そのものだけではなく、

将棋ソフト不正使用疑惑騒動
こそ、

得体の知れない不安に人間が右往左往した実例、

「将棋界がAIソフトを恐れて自滅しそうになった日」として、

無かったことのように風化されるべきでない出来事と
私は考えています。

2017年5月20日 第2期電王戦第2局(現役名人の敗北)
2017年5月24日 三浦弘行九段と日本将棋連盟の間で和解成立のご報告
2017年6月26日 藤井聡太29連勝(AI評価と比較できる指し手の登場)


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食の記憶



食文化というものも時によって変わっていくものだと思います。

■マクドナルドのハンバーガー

たとえば、マクドナルドのハンバーガーというものは、
いまどきの人には、生まれたときから当たり前に存在するものでしょうが、
私にとっては、70年代前半に小学2年生くらいに出会うまでは、
マクドナルドも、ハンバーガーも、自分の生活には、ないものでした。

ピクルスというものをこれで知りました。

(この出会いについては、もっと詳しくいつか書いてみたい)

2020年11月に
トリチ(トリプルチーズバーガー)を初めて食べたときに、
小学2年生くらいのときに、
生まれてはじめてマクドナルドのチーズバーガーを食べたときのことを思い出しました。
つまり、
今の私は、舌が奢っていて、
3枚重ねないと昔と同じおいしさを楽しめることができなくなっているようだ、
と気づいたのでした。


■たこ焼きにマヨネーズ

さて、焼きそばやたこ焼きやお好み焼きに、
ソースに加えて、マヨネーズをかけるやりかたは、
ものごごろついたときには、存在していなかったと思います。

70年代半ば以降に急に生まれたような気がするのです。
私の記憶では、小学生のとき、たこ焼きやさんに、
ある日、突然、
「マヨネーズかけてみる?おいしいよ?」
と、言われたのです。
それは思いがけずおいしくて、何かの発明に出会ったような気がしたものです。

70年代は、粉ものにマヨネーズをかけることは当たり前のことではなかったように思います。


■寿がきやのラーメンととんこつ味

小学生高学年のとき、
お小遣いを握りしめ、
ダイエーの片隅の寿がきやのコーナーで食べるラーメンが好きでした。
そのラーメンは今まで食べていたのと違って、
スープが白いのです。

そういうのをとんこつ味というのだと
もう少し大きくなってから
知識を得ました。


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2020年11月11日

【小説】 恋するラジオ スージー鈴木 2020年




ラジカセエアチェックの時代から始まって、
訃報を親戚LINEグループで知らせる時代まで。

そして、
2039年にも
千駄ヶ谷のナガオカのオーディオルームは存在しているのだろうか。


■電子化

 同じような物語は過去にもあると思うが、
 以前と異なるのは、
 出てくる曲名をすぐさま検索して実際に耳にできるので、
 今は、同時代を知らない人でも物語を楽しめる。


■自分の記憶とクロスしたことの覚書

・ラジカセ
 1980を型番に名乗ったラジカセが未来的なかっこいい響きをもっていたこと。

ヤンタン

・ザベストテンに初登場したサザンオールスターズ

レンタルレコード

・大学祭のライブ

 レベッカの早稲田ライブ
 
 一瞬映る、
 最前列の客が飛び出さないよう、
 柵を一所懸命に押さえている、
 伝説のライブのその場にいるも、
 それを背にして音だけ聴いていたスタッフの人。

 ライブが終わると皆あっさり背を向けて
 その場から去っていくのも
 大学祭ライブっぽい。
 これが「伝説」になるとも知らずに。


・休日出勤








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2020年11月07日

【書籍】 大林宣彦、全自作を語る (書きかけ)



聞き手は、馬飼野元宏、秋場新太郎



自分のための索引を作るためにエントリーを作成しました。

自作の打ち明け話よりも、
映画業界の話、しきたりや外部プロデューサーの行状などを気楽に披露しているので、
そういうことに詳しくない私は興味深く読んでいます。

私は、監督のことを
映像の魔術師ではなく、言葉の魔術師と考えているのですが、
本著に収められている、
「私の好きな大林映画」の文を寄せた方々からの質問への回答も、

「目くらましのお題をください」みたいに感じました。


・p190 「ウソから出たマコト」の監督の説明






大林宣彦監督映画の感想

 http://inatt.tokyo/article/462052806.html


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2020年08月28日

【書籍】 エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ 舘野仁美 平林享子 2015年



この書籍の感想を書き記したいと長年思っていましたが、
果たしていません。

鈴木敏夫、宮崎駿が怪物であること、

(高畑勲はあまり登場しない)

それに自分の器で対峙すること、

など。


まだうまく書けませんが、
あるツイート群の覚書をするために
エントリーを作りました。



















「終わらない人 宮崎駿」業の深い人、悪魔的な人
  http://inatt.tokyo/article/444355001.html




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2020年07月19日

【演劇】 大地 三谷幸喜作 2020年








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2020年07月05日

「なぜ戦争なんか始めたんですか」「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」

 
20190811記

「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」


そんなやりとりをドラマなどで何度か観た記憶がありますが、
いつのまにか、ってどういうこと?
雰囲気って、曖昧すぎる、と
今まで、腹に落ちた思いをしたことがありませんでした。


ですが、
ある書物の主張から、
「ああ、そういうこともあるかもしれないんだ」と
納得することがありました。




【お寿司の数え方 お寿司の一貫とは】

2018年7月にふとしたことから、
2013年に発行された、
「ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎」
を入手して読んでいたところ、
とある項目が目に留まりました。

今の私は、
鮨は1貫と数えるものだと思っているし、
昔からそう数えられていたのだろうと考えていました。
バラエティ番組などで、
1貫が2個なのか1個なのか、
という話題がとりあげられるということも知っています。


ところが、
「寿司を「1カン」と数えだしたのは平成に入ってからである」
というのです。


これが正しいとすれば、
物心がついた以後にできた常識なのに、
私は知らぬ間に自分の常識を塗り替えていた
ということになるのですが、
私にはそんな自覚は一切ないのです。


( 1貫は2個か1個か、とテレビに言われて、
  そうだなあ、両方あるなあ、
  と感心した記憶はあります・笑 )

( 物心ついてから、
  ナイフ・フォークでライスを食べるときは、
  フォークの背にのせるって見聞きしたけど、
  のちに、それは違うという言説も読んだ、
  というような、
  最初に教わったことが後で訂正されたという
  記憶はいくつかあるのですけど )


「ホリイのずんずん調査〜」では、調査の結果を
・かつて寿司は「カン」とは呼ばれていなかった。
・1983年から2009年までの雑誌で、「寿司」とタイトルに張っている記事を調べると、
 80年代後期に散見するもののごく一部
 1991年から増えだし90年代を通して広まり、
 2000年代に定着した。
 2003年にすべての雑誌でカン表記。
と示しています。


なぜ、そうなったかについて、筆者は、
・90年代の半ばに通っていた寿司屋の大将に
 「ホリイちゃん、寿司の数え方なんだけど、
  なんか、かっこいい呼び方ないかな、
  1つ2つ、とか、1個2個じゃなくて、
  最近、カンなんてことも言われてるんだけど、どうだろう」
 と相談されたことがあった。
・店舗も客も、寿司を何か特別な呼び方をしたい、という欲求があったからだ。
・寿司屋が広く開かれたから、
 せめてどこかに特別な部分を残したいという意志によって、
 不思議な助数詞が導入されたのだ。
・「寿司のカン呼ばわり」は、うさんくさくて受け入れがたい。
 自然の流れで出てきた呼び方ではなく、極めて意図的で、人為的だからだ。
と主張しています。


雑誌表記の調査に基づいた意見であり、説得力を感じました。
そういう経緯であれば、
1貫は、2個なのか1個なのか、
カンの漢字表記「貫」の由来は何か、
いろいろはっきりしないことも納得できる。


特定の誰かが意図して始めたことではないが、
複数の人が同じことを広め、
世の中の人が多くそれを受け入れると、
大昔からそうであったことのように、
なることがあること、


特定の政治家やメディアが、
特定の思想に基づいて広めた、
というような分かりやすい経緯でないこと、


何か潜在的な世の中の欲求のようなものが、
広める人、受け入れる人に共有されているらしいこと、


また、人がなんとなく当たり前に思っていることが、
当たり前ではないことを示すには、
事実に基づく実証的な作業が必要であるということも分かりました。


また、世の中でなんとなく当たり前と思っていることに
実証的に疑念を呈した主張が
メジャーなところから出版されているのに、
それが広まらないこともあることを知りました。



「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんなことになっていたのです」




20200705追記

また、世の中が変わるには、
そんなに多くの賛同は必要でなく、
一部の人の同意と、
一部の人の黙認・追認があればよく、
自分が望まない結果を
知らないうちに招かないためには、
普段の行動や意思表明も
重要だと思うようになりました。



・「投票しない」という行動は自分の望まない未来を作り出すことに加担することになる可能性がある。





20200807追記
【何故戦争を止めることができなかったの】



私たちが国の運営を任せた人たちがやったこと。







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2020年04月24日

【TVゲーム】 FINAL FANTASY VII REMAKE をやらない理由(わけ) (私とRPGゲーム) ( 書きかけ )


 
私は、ファイナルファンタジー7 何々の海外の反応関連の動画を観るのが好きで、
いつも、ちょっとした感動を味わうのですが、

( 自分とは異なる言語を話す人たちが、
  なぜ自分の知っている単語を口走りながら、
  自分と同じところで同じように感動しているのだろう、
  なぜそれを自分は分かるのだろう。
  字幕がなくても、ちゃんと分かる。
  とても不思議な、稀有な体験。 )

これらの動画に出てくる人たちとの共通点は、
ただひとつ、
同じTVゲームをしたことがあるということだけ・笑

FF7は、雰囲気づくりがよくできていて、
( 背景・美術・演出(カメラワーク)が好い )
ミッドガルの閉そく感(空がない街)
ミッドガルから出たときの平原の広さ、
コレル山の夕陽、
とか、
皆の頭のなかにイメージがいつまでも残っているのですね。








でも、ファイナルファンタジー7リメイクは、やらないと思っています。

とても誘惑にかられていますが、大丈夫、PS4を買わなければ・笑

2020年4月24日時点で、プレイし終わった感想や、
YouTubeに上げられたコンテンツを観ていますが、
ゲームとしての評価も高いようですね。

でもやらない・笑。


私がファミコンとかでRPGなどTVゲームをやるようになったのは、社会人になってからです。
実家は、ファミコンのような高価なおもちゃを買う風習?がありませんでした。
社会人になって数年経ち、少しお金も余裕ができて、大人買いの一種ですね。

最初は、ドラゴンクエストというものを一度やってみたくて、
同じ独身寮にいる会社の2年下の後輩から、
ファミコンとドラクエ3を借りました。

ドラクエ3は、1をやっておかないといけないので・笑
その面白さを十二分に堪能したとは言えず、

本格的にはまったのは、
ドラクエ4の
章立てになっていて、登場人物が変わっていく展開に
面白みを感じてからです。

それ以降は、
コーエーの信長やバイオハザードなど、
アクションは苦手でやらないのですが、
多くのタイトルを遊んできました。

各タイトルの発売日を調べていけば、
いつ、私が、そのゲームを楽しんでいたか、
リストを作ることができる。

1992年(平成4年) 12月  ファイナルファンタジーV
1995年(平成7年) 3月  クロノ・トリガー
1996年(平成8年) バイオハザード (PS)
1997年(平成9年) 1月  ファイナルファンタジー7 ( PS )
1999年(平成11年)12月 シェンムー ( ドリームキャスト)
2001年(平成13年)7月  ファイナルファンタジー10 ( PS2 )
2003年(平成15年)3月 ファイナルファンタジー10-2 ( PS2 )

TVゲームから遠ざかったのは、

(書きかけ)



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