2020年11月07日

【書籍】 大林宣彦、全自作を語る (書きかけ)



聞き手は、馬飼野元宏、秋場新太郎



自分のための索引を作るためにエントリーを作成しました。

自作の打ち明け話よりも、
映画業界の話、しきたりや外部プロデューサーの行状などを気楽に披露しているので、
そういうことに詳しくない私は興味深く読んでいます。

私は、監督のことを
映像の魔術師ではなく、言葉の魔術師と考えているのですが、
本著に収められている、
「私の好きな大林映画」の文を寄せた方々からの質問への回答も、

「目くらましのお題をください」みたいに感じました。


・p151 「転校生」の音楽

・p190 「ウソから出たマコト」の監督の説明






大林宣彦監督映画の感想

 http://inatt.tokyo/article/462052806.html


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2020年08月28日

【書籍】 エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ 舘野仁美 平林享子 2015年



この書籍の感想を書き記したいと長年思っていましたが、
果たしていません。

鈴木敏夫、宮崎駿が怪物であること、

(いろんなことをお見通しである)

それらに自分の器で対峙すること、

など。


(高畑勲はあまり登場しない)


まだうまく書けませんが、
あるツイート群の覚書をするために
エントリーを作りました。








(手書きの線には、デジタルに取り込まれたら、消えてしまうものがあるということ?)












私は、アニメのことやアニメを作ることに詳しくありませんが、

アニメーション制作に携わった多くの人がいること、

( この本の作者は、日本アニメーションの歴史に名が残る人でしょうけれど、 )

200年前に、浮世絵業界にも、そんな無数の無名な職人たちがいたんだろうな、

と思うことなど。





「終わらない人 宮崎駿」業の深い人、悪魔的な人
  http://inatt.tokyo/article/444355001.html



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2020年07月19日

【演劇】 大地 三谷幸喜作 2020年








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2020年07月05日

「なぜ戦争なんか始めたんですか」「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」


 
20190811記

「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんな雰囲気になっていたのです」


そんなやりとりをドラマなどで何度か観た記憶がありますが、
いつのまにか、ってどういうこと?
雰囲気って、曖昧すぎる、と
今まで、腹に落ちた思いをしたことがありませんでした。


ですが、
ある書物の主張から、
「ああ、そういうこともあるかもしれないんだ」と
納得することがありました。




【お寿司の数え方 お寿司の一貫とは】

2018年7月にふとしたことから、
2013年に発行された、
「ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎」
を入手して読んでいたところ、
とある項目が目に留まりました。

今の私は、
鮨は1貫と数えるものだと思っているし、
昔からそう数えられていたのだろうと考えていました。
バラエティ番組などで、
1貫が2個なのか1個なのか、
という話題がとりあげられるということも知っています。


ところが、
「寿司を「1カン」と数えだしたのは平成に入ってからである」
というのです。


これが正しいとすれば、
物心がついた以後にできた常識なのに、
私は知らぬ間に自分の常識を塗り替えていた
ということになるのですが、
私にはそんな自覚は一切ないのです。


( 1貫は2個か1個か、とテレビに言われて、
  そうだなあ、両方あるなあ、
  と感心した記憶はあります・笑 )

( 物心ついてから、
  ナイフ・フォークでライスを食べるときは、
  フォークの背にのせるって見聞きしたけど、
  のちに、それは違うという言説も読んだ、
  というような、
  最初に教わったことが後で訂正されたという
  記憶はいくつかあるのですけど )


「ホリイのずんずん調査〜」では、調査の結果を
・かつて寿司は「カン」とは呼ばれていなかった。
・1983年から2009年までの雑誌で、「寿司」とタイトルに張っている記事を調べると、
 80年代後期に散見するもののごく一部
 1991年から増えだし90年代を通して広まり、
 2000年代に定着した。
 2003年にすべての雑誌でカン表記。
と示しています。


なぜ、そうなったかについて、筆者は、
・90年代の半ばに通っていた寿司屋の大将に
 「ホリイちゃん、寿司の数え方なんだけど、
  なんか、かっこいい呼び方ないかな、
  1つ2つ、とか、1個2個じゃなくて、
  最近、カンなんてことも言われてるんだけど、どうだろう」
 と相談されたことがあった。
・店舗も客も、寿司を何か特別な呼び方をしたい、という欲求があったからだ。
・寿司屋が広く開かれたから、
 せめてどこかに特別な部分を残したいという意志によって、
 不思議な助数詞が導入されたのだ。
・「寿司のカン呼ばわり」は、うさんくさくて受け入れがたい。
 自然の流れで出てきた呼び方ではなく、極めて意図的で、人為的だからだ。
と主張しています。


雑誌表記の調査に基づいた意見であり、説得力を感じました。
そういう経緯であれば、
1貫は、2個なのか1個なのか、
カンの漢字表記「貫」の由来は何か、
いろいろはっきりしないことも納得できる。


特定の誰かが意図して始めたことではないが、
複数の人が同じことを広め、
世の中の人が多くそれを受け入れると、
大昔からそうであったことのように、
なることがあること、


特定の政治家やメディアが、
特定の思想に基づいて広めた、
というような分かりやすい経緯でないこと、


何か潜在的な世の中の欲求のようなものが、
広める人、受け入れる人に共有されているらしいこと、


また、人がなんとなく当たり前に思っていることが、
当たり前ではないことを示すには、
事実に基づく実証的な作業が必要であるということも分かりました。


また、
世の中でなんとなく当たり前と思っていることに
実証的に疑念を呈した主張が
メジャーなところから出版されているのに、
それが広まらないこともあることを知りました。



「なぜ戦争なんか始めたんですか」
「いつのまにか、そんなことになっていたのです」









20200705追記

また、世の中が変わるには、
そんなに多くの賛同は必要でなく、
一部の人の同意と、
一部の人の黙認・追認があればよく、
自分が望まない結果を
知らないうちに招かないためには、
普段の行動や意思表明も
重要だと思うようになりました。



・「投票しない」という行動は自分の望まない未来を作り出すことに加担することになる可能性がある。





20200807追記
【何故戦争を止めることができなかったの】

・国民のうち、何割がアベノマスクを望んだの?



私たちが国の運営を任せた人たちがやったこと。











岩波書店・世界・202302号・p23・阪田雅裕・憲法九条の死
国家安全保障戦略において「反撃能力」を自衛隊に保有させるとしていることについて、
憲法九条が「その歴史的な使命を終えていま、その姿を消そうとしている。」と述べられている。





20240101追記

■関係あるようなないような紅白歌合戦の話

NHK紅白歌合戦って、

有吉の毒がすべて漂白される、とか、
YOASOBIの「アイドル」を、
あの歌詞なのに、たくさんのアイドルを集めてパフォーマンスさせる、とか、
ギネス認定員がついミスを見逃してしまう、とか、
( 前の話ですが、 )
誰も強要していないのに、
見えない圧力から、
やりたくないのに、
寄ってくるカメラにあわせて、恋ダンスをすることになる、新垣結衣、
とか、

特別な雰囲気が発生して、
現実化してしまう、ことの実例として、

このエントリーに覚書しました。





20240218追記

ドラマ「不適切にもほどがある!」で、
1980年半ばと2024年の比較が表現されていますが、
最近のコンプラ重視とかZ世代の云々とは、
この5年10年の話で、
やはり、それくらいで世の中の雰囲気って変わるものなのだ、
という思いをもっています。


■関係あるようなないようなコロナの話(20240616)

コロナ前、私は息苦しいのが苦手で、
強制されない限り、マスクをすることはありませんでしたし、
手洗いもそんなに熱心にしていませんでした。

コロナの世になり、
2020年の半ば頃、ようやっと、
マスクをして外出するのに慣れたような記憶があります。

しかし、2020年4月以降、
私は、外出するとき、電車のなか、2024年6月の今も、
ずっとマスクをしています。

家から150歩先にある、コンビニに行くときも、
必ずマスクをしていましたが、
2023年くらいからは、
普段使いのマスクを消費するほどとは考えなくなって、
布マスクで行くようになり、
2024年4月頃からは、マスクをしなくなりました。

この変遷には、
科学的な根拠も、
主観的にも理屈はなく、
マスクをするもしないも、
なんとなく、経緯的、習慣的、個人的感覚のもと、
行われていると感じます。

また、それでも、4年間ものあいだ、
コンビニにちょっと行くにもマスクをしていた、
という習慣も、
なんとなく、しなくなり、
時が経てば忘れらるような出来事になる。

しかし、後の世からみると、
4年もの長きのあいだ、
マスクをしていた、
ということを不思議がられることがあるのかも
しれない。







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2020年04月24日

【TVゲーム】 FINAL FANTASY VII REMAKE をやらない理由(わけ) (私とRPGゲーム) ( 書きかけ )



20200424記
 
私は、ファイナルファンタジー7 何々の海外の反応関連の動画を観るのが好きで、
いつも、ちょっとした感動を味わうのですが、

初めて観た映像なのに、
皆、すぐに判るんですよね、
ミッドガルだ!
と。

tin tin tin..., come on!
とかいって、
何の劇伴(効果音)か皆分かっている・笑。

そして、
自分とは異なる言語を話す人たちが、
なぜ自分の知っている単語を口走りながら、
自分と同じところで同じように感動しているのだろう、
なぜそれを自分は分かるのだろう。
字幕がなくても、ちゃんと分かる。
とても不思議な、稀有な体験です。


これらの動画に出てくる人たちとの共通点は、
ただひとつ、
同じTVゲームをしたことがあるということだけ・笑


FF7は、雰囲気づくりがよくできていて、
( 背景・美術・演出(カメラワーク)が好い )
ミッドガルの閉そく感(空がない街)
ミッドガルから出たときの平原の広さ、
コレル山の夕陽、
とか、
頭のなかにイメージがいつまでも残っている。





チロン、と一音鳴っただけで、I know that sound!




でも、ファイナルファンタジー7リメイクは、やらないと思っています。

とても誘惑にかられていますが、大丈夫、PS4持ってないし・笑

2020年4月24日時点で、プレイし終わった感想や、
YouTubeに上げられたコンテンツを観ていますが、
ゲームとしての評価も高いようですね。

でもやらない・笑。


私がファミコンとかでRPGなどTVゲームをやるようになったのは、社会人になってからです。
実家は、ファミコンのような高価なおもちゃを買う風習?がありませんでした。
社会人になって数年経ち、少しお金も余裕ができて、大人買いの一種ですね。

最初は、ドラゴンクエストというものを一度やってみたくて、
同じ独身寮にいる会社の2年下の後輩から、
ファミコンとドラクエ3を借りました。

ドラクエ3は、1をやっておかないといけないので・笑
その面白さを十二分に堪能したとは言えず、

本格的にはまったのは、
ドラクエ4の
章立てになっていて、登場人物が変わっていく展開に
面白みを感じてからです。

それ以降は、
コーエーの信長やバイオハザードなど、
アクションは苦手でやらないのですが、
多くのタイトルを遊んできました。

( いいゲーム、
  記憶に残っているゲームの特徴

  音楽が好い、カメラワークが好い )

各タイトルの発売日を調べていけば、
いつ、私が、そのゲームを楽しんでいたか、
リストを作ることができる。

1992年(平成4年) 12月  ファイナルファンタジーV
1995年(平成7年) 3月  クロノ・トリガー
1996年(平成8年) バイオハザード (PS)
 冒頭の演出。荒い絵、カメラワーク、「音」。
1997年(平成9年) 1月  ファイナルファンタジー7 ( PS )
1999年(平成11年)12月 シェンムー ( ドリームキャスト)
 2022年のメタバースより、シェンムーのほうが没入感があったし、
 20年経っても、仮想空間は拡がりをもててない。
2000年(平成12年)8月 ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち
 石板をうまくはめることができず脱落・笑
2001年(平成13年)7月  ファイナルファンタジー10 ( PS2 )
2003年(平成15年)3月 ファイナルファンタジー10-2 ( PS2 )
2005年(平成17年)11月 ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
 終わらせたのは20050104
 http://inatt.tokyo/article/398821062.html


TVゲームから遠ざかったのは、

(書きかけ)




20210311記

「FFVII リメイク インターグレード(FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADE)

やりませんよ…









ゲーム音楽の記憶
 http://inatt.tokyo/article/479417809.html








・ホントは、程よい難易度の「達成感」
・私もどこかで気づいたのだ。
 「程よい難易度の「お勉強」を毎日やる」ほうが人生にためになるのではないかと。
 今までゲームに費やした時間の十分の一でもそれに充てていれば...
 それでも、
 ゲームの思い出は人生のなかでも大切なもののひとつと確かに言える。




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2019年11月16日

夢路いとし・喜味こいし 仙人の漫才 「わたしの好物/ジンギスカン」


 
「生きてる間は、いのしし、死んだら戒名が、ぼたん」

  ( ぼたん鍋、別名戒名鍋・笑)

 
大阪の漫才に親しんで育ちました。

若い頃は、やすしきよしが一番と思っていましたが、
今は、このマンザイが一番好きです。




いとしこいし「わたしの好物」または「ジンギスカン」

動画のコメントによると、

2003年1月12日の放送で、
夢路いとし77歳
喜味こいし75歳
だそうです。

このとき芸歴は漫才だけで62年か63年。

「好きなものは鍋」
「君は鍋を食うんか、歯が丈夫やな」
みたいなネタを
「好きなものは鍋」というセリフのあとの
間と表情だけで笑わせる。
他の人が同じことをやってもこんなに受けないはず。
これが芸なんだな。

この漫才の何が好いのかというと、
「力がまったくどこにも入っていないスイング」なのに、
球がぽんぽん遠くへ飛んでいく、みたいな・笑

漫才の名人を超えて、仙人の域なんですな・笑

60年以上続けて、
このような素晴らしい芸に到達する、
それを動画でいつまでも観ることができる、
幸せなことです。


( いまさらやけど、君、

  ジンギスカンを食べるための鉄板は、

  ジンギスカン鍋いうけど、

  料理自体は鍋料理やないなあ )


( いとし師匠はこの動画と同じ年の2003年9月に亡くなりはりました )





鉄板に油を塗る油引きをぼんぼらさんと言うらしい。

wikipediaにも引用されてるからね・笑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E5%BC%95%E3%81%8D





昔のものも何でも動画で観ることができる時代になりましたが、
もう一度、観たいと思って、できていないのが、
がっちり買いまショウの
「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」
という口上・笑

日曜日のお昼に、
お昼ごはんがたこ焼きとかお好み焼きだったりして、笑
たこ焼き焼きながら、観てたよ・笑

何十年も前に見聞きしたことでいつまでも覚えていること。






ラベル:#これで育った
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2019年07月21日

【小説】 ぼくの大好きな青髭 庄司薫 1977年



「そう。たとえば、
 われわれはただ解釈するだけで自己完結してしまう
 チャチなコマネズミであろうか?」


「ほんとうに彼らはみな、一体どこで生まれ、どんな夢を抱き、今何をしていて、
 そしてこれからどうなるのだろうか。」





20190721記


1969年7月20日 日曜日は、アポロ11号 が月面に降り立った日。
(日本時間では21日)
2019年はそれから50年ということで、
このことを題材にしたテレビ番組をいくつか観て、


この小説を思い出しました。


新宿を舞台に、
1969年7月20日の10時頃から20時間足らずの物語です。


いまさらに気づいたのは、
明瞭には示していませんが、
このお話は、
月着陸船イーグル号が月面に降りた時間とほぼ同じ頃、
幕を閉じているということです。


何かの「終わり」を語っているのかもしれないこの物語、
それが発表されてから40年以上も経ちました。
世の中は変わったのか、変わっていないのか。


また、アポロ11号に関わった、
数多くの人たちに加えて、


麦わら帽子を被り、虫取り網を抱えて、
1日新宿を歩き回った付け髭の男のことも
覚えておきたいと思いました。





■新宿御苑

私が初めて新宿御苑に足を踏み入れたのは、
だいぶ歳をとってからなんですが、

もったいないことですが、
しばらく、この作品のことが頭にない状態で歩いていました。

いつか、「青髭」に会うことができるだろうか。







■日比谷高校

坂本龍一が新宿高校一年のとき、
おそらくそのとき東京芸術大学に在籍していた
先輩の池辺晋一郎に、
「このままの実力でも(東京芸大に)十分受かる」と言われた、
とかいうエピソードを見聞きすると、

本シリーズにおける日比谷高校の描写は、
相当な程度で現実に近いものであったのだろうと思いました。

1960年代の都内の雰囲気。


庄司薫の中の人

自分と自分の10年若い世代の人たちへの

近親憎悪的な視線が作品には含まれていると感じるが、

本シリーズが映画化されるなど話題を集めていたころは、

自分か、他の人か、

誰かプロデュースしていたのか気になったりするし、

ヤフオクで、

婦人倶楽部1975年2月号「中村紘子、章二さんとの愛の城」みたいな記事があったことを知ると

作中の女性週刊誌が登場するシーンでその記事を見たりするような情景を思い浮かべ、

妙な気持ちになる・笑




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2019年04月14日

【競馬】 ディープインパクト

 
ディープインパクトに関するエントリーをひとつにまとめました。


20051023 【競馬】第66回菊花賞

何を好き好んで、
オッズ1倍の馬券を買うかというと、記念だからですね。
普通は馬券の妙味がなさすぎると、
他の馬に流れる人も出るはずなのに、
ディープインパクトのことを本当に文句のつけようもなく強いと
皆が皆思った結果でしょう。

三冠馬に大型馬なし、だそうで興味深いお話です。

岡部さんの解説は、理知的な感じでいいですね。

ディープインパクトは、
武豊をして、不思議な乗り味がある馬だそうです。
オンリーワンな馬にオンリーワンな特徴がある、っていうのが好きです。


ーーーー

20051106【競馬】ディープインパクト

 
HDDレコーダーの掃除をかねて、
ディープインパクト関係の録画を見直しました。

○スーパー競馬(皐月賞
 
・セレクトセールでは、サンデーサイレンス産駒としては、
 高くない値段しかつかなかった。7000万。
・ノーザンファームでも、最初は、
 併せ馬についていけなかった。
・入厩したときも、お兄さん(ブラックタイド)より、
 ふた回り小さい感じで印象はそれほどでもなかった。
・新馬戦の1週間前の調教で、
 急にオープン馬でも出せないタイムをだした。
・新馬戦前の調教に乗った武豊はダービーが狙えると思った。
・他の馬よりも蹄鉄が減らない。
・首を低くして、駆ける姿がかっこいい。
・サンデーサイレンス産駒は背中が柔らかい。
・とにかく出走しないと始まらない、無事でこその名馬。
 過去の皐月賞のVTRでアグネスタキオンが勝った瞬間、
 実況アナが、「まず一冠!」と叫んでいるのが、印象的。
 ( タキオンは、同じくとても強くて期待されていたが、
   皐月賞を圧勝した後、足の故障で引退した。 )
・躓いても、出遅れても、慌てない武豊はすごい。
・始めてステッキを入れた。
 「4コーナーで気を抜いたので」(武豊)
・武豊「飛んでるみたいですよ」
・井崎脩五郎が1点で的中(ディープインパクト&シックスセンス)
 「映画みたいな馬券」


○スーパー競馬(ダービー)

・体がこんなに柔らかい馬は見たことない(井崎)
・伝統の白地に黒ゼッケン
・パドックで尻っぱねをしたことで皆が心配した。
・吉田勝己(ノーザンファーム)
 セリで値が高くなかったのはショックだった(笑)
 目玉のつもりだったから。
 新馬戦でその実力にびっくりした。
 ( セレクトセールに生産馬の一番を出すわけではなし )
 ( しかし、当歳で、その馬が走るかどうかなんて、
   誰にもわからないことを証明している )
・尻っぱねの様子は父親のサンデーそっくりなのでは(井崎)
・武豊「この馬の強さに感動してます」


○スーパー競馬(菊花賞)

・支持率78.8%からオッズが1.0になる
・見る度に競馬が上手になっている(岡部幸雄)
・新馬戦のあと、武豊が「お化けや」と言った(杉本清)
・「(ノーザンファーム時代は)こんなに走るとは...」
 (吉田勝己)
 (馬を売る立場として一押しは他にもいっぱいいたでしょうから)
・武豊は今日、6鞍しか乗っていない。
・武豊「聞いたことない歓声でした」
   「皆さん本当によかったですね」
    (自分が成し遂げるのではなく、
     任されて期待された結果を出す人としての発言ですね)


○NHK特集

(・神戸新聞杯のとき、パドックでフラッシュ、
  それも使い捨てカメラ、を焚いていた人がいた。)

・尻っぱねは、走りたくて仕方ないことの表れ。
・調教の前に人間が馬をストレッチしてました。
・調教後も水で足を冷やし、マッサージをする。
・心肺機能の高さと関節の柔らかさが強さの秘密。
・釘を用いない蹄鉄は日本でできるのはひとりだけ。

 続けて見ると、市川厩務員や池江調教助手の顔も覚えて、
 彼らの緊張や喜びもよく伝わってくるようになります。
 競馬は、馬だけでなく、
 馬をめぐる多くの人たちの思いやドラマが感動を呼びます。
 ディープインパクトについては、
 これから、まだまだ、そういうことが語られると思います。





ーーーーーー

20060603 【競馬】JRA高橋理事長

 
(サンケイスポーツ 6/3 18面)
「JRAの高橋政行理事長(66)は2日、栗東トレセンを訪れ、(略)
 ディープインパクトを激励した。
 
 高橋理事長は1年に1回はトレセンを視察しているそうで、(略)」


1年に1回だって。(驚)
まさか、美浦と栗東あわせて、年1回じゃないですよね?
貴族が都にずっといて、自分の領地にめったに行かないみたいなもんか?
貴族なもんだから、
自分の感覚がずれていることに気づかず喋ったのかも。


(高橋政行氏は東大法学部卒業後、昭和38年に農林水産省に入り、
 食糧庁長官、平成9年農水事務次官を経て、平成10年退職している。
 天下りして、
 平成11年JRA日本中央競馬会理事長 岐阜県出身 )


ーーーーー

20061001 【競馬】 凱旋門賞

 
勝つことのなんと難しいことか。
実況では、日本の競馬の歴史を変えるか、
と言ってましたが、実のところ、
世界の競馬の歴史が変わるところだったのですから。

あの冷静な岡部さんが、

 まだまだ、まだ、
 よしよし、よしよし、
 大丈夫、
 大丈夫!
 頑張れっ!

と、熱くなっていました。

岡部幸雄さんは、レース前に、
余裕があっても先に先頭にたつのはよくない、
と言っていましたが、
武豊は、ディープインパクトが
もう一段いつもどおりに伸びることを
信じたのでしょう。


https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%87%B1%E6%97%8B%E9%96%80%E8%B3%9E+%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88







ーーーーーーーー

20071011 【雑誌】 Number 689 日本競馬の逆襲

 
秋競馬の特集。

その中の記事に、
かねてから知りたいと思っていたことが出ていました。

日本のありとあらゆる名馬に乗ってきた武豊は、
どの馬を一番としているのか、

かつてサイレンススズカだと明言したことを
知っているのですが、
ディープインパクト以降意見は変わったのかどうか。

武豊のサイレンススズカ評は、今でも、
「理想のサラブレッドです」ということらしい。

( 「競馬は、最後にいい脚を残したいから、前半を抑えて行くことを考えるわけじゃないですか。
   でも、本当に理想的な競馬はいきなり先頭に行って、最後もいい脚を使う。
   これができる馬が理想のサラブレッドなんです」
  
  ( 先に先頭に立てば不利になることもない )

  「オーバーペースがマイペース」 )


その理想のサラブレッドも、G1は1勝(宝塚記念)のみ。
そのレースに武豊は騎乗していない。(エアグルーヴに乗った)

だからこそ、武豊の意見はもう変わらないかもしれませんね。

ディープインパクトとサイレンススズカが一緒に走ったら、
最後の直線、先頭のサイレンススズカと遠く後ろのディープ。
ディープインパクトはサイレンススズカを差せるのか、

そんな夢のレースは、
ありえないからこそ、
いつまでも想像を愉しむことができるものなのかもしれません。

( 武豊に聞く。ディープインパクトはサイレンススズカを差せるのか。
   https://number.bunshun.jp/articles/-/844022             )

「(直線に入って2頭は)すごく離れているわけですよね(笑)。う―ん、どうでしょう。分からないですね(笑)。どちらが勝つかは分かりませんが、ディープインパクトにとって、最も負かしにくいタイプであるとは言えるでしょうね」

https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B2%88%E9%BB%99%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5


ーーーーー

20150907追記

20150906のみんなのKEIBAでのインタビューで、
もう一度乗りたい馬にディープインパクトをあげていました。
もう一度、凱旋門賞にディープと出たいと。
夢に見るとまで言っていました。  





https://news.line.me/list/oa-numberweb/q27i6dxh28lo/jt3yjl31zd8c?utm_source=OA_digest_oa-numberweb&utm_medium=202203151756&utm_campaign=none

武豊「最も乗りやすかったのは、断然オグリキャップです」では、“最も難しかった馬”とは?

<初出:Sports Graphic Number 1027号(2021年5月20日発売)、肩書などすべて当時>「それは面白そうですね。やりましょう!」

――最後に、最も乗り難しかった馬と、乗りやすかった馬を教えてください。

「ディープインパクトは大変でした。危ないなというのはデビュー前に感じていて、だからソローッと乗って、ムチも使いませんでした。まあ、使わなくてもいいぐらい強かったのもありました。その難しさが段々解消していったことも印象深いです。

 乗りやすかったのは断然オグリキャップです。ボクが騎乗したのは最後の年の2回だけでしたが、1600mでも2500mでも、ポンとスタートを切っていいポジションでジッとできて、追えばシュッと伸びてくれました。いま、そんな馬いないでしょう。マイルでも2500mでも同じ競馬ができるなんて。止めるのも簡単で、ウイニングランをパーッとやったけど、池江(敏郎)厩務員を見つけてピタッと止まる。あんな賢い馬はいませんでした」

( 20230320追記
 
  いい加減な私見ですが、

  サイレンススズカにしろ、ディープインパクトにしろ、
  サンデーサイレンス産駒の名馬の印象は、

  人間に例えると、

  走るとき、能力は凄いが、目がいっちゃってる、みたいな・笑

  プライベートではお付き合いしにくい、みたいな・笑 (謝) )

  
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2018年08月19日

20180815 【TV】 NHKスペシャル 「ノモンハン 責任なき戦い」

一番印象的だったのは、
当時、陸軍参謀本部作戦課長だった、
稲田正純へのインタビューで、
彼が昭和天皇のことを「天さん」と言っていたことです。

当時、そういうふうに呼んでいたんでしょうね。

「日本のいちばん長い日」などにあらわれる、
天皇を崇め、国体護持を唱える、
陸軍将校たちをあわせて思い浮かべ、
彼らの裏面を垣間見たように思いました。

ーーーーーーー

映画 日本のいちばん長い日(1967)の感想
 http://inatt.tokyo/article/398822061.html



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2018年08月11日

からあげ座・食パン座 ( 夏休み子ども科学電話相談 20180723 )


 
「夜になったら、星をながめておくれよ。
「星がみんな、きみの友だちになるわけさ。
「きみにとっては、星が、ほかの人とはちがったものになるんだ......
(星の王子さま)




【書き起こし】「からあげ座つくりたい」(7月23日放送)
  http://www.nhk.or.jp/radio-blog/pr/r1/303126.html

この番組では、ときどき、
子供たちの質問に答える先生がたは、
かつて、質問者と同じような子どもであった、
と思わせられることがあります。




星座は全部で88個、世界共通で決められているらしい。

だけど、
5歳の女の子の
からあげ座を教えてください、
からあげ座を作りたい、
という、
突拍子もないと思えるような質問に、
真摯に回答する永田美絵先生(コスモプラネタリウム渋谷)。

先生は最初に、
星座を作りたいという人はぜひ作ってほしい、と言ってから、
一応、星座って世界共通で88とか決められているのだけれども、
ぜひ質問者にはからあげ座を作って欲しい
と話しています。

持っている知識に縛られたつまらない大人は、
私もそうですけど、
つい、最初に、
星座はもう88個に決められているんだけどね、
って言ってしまいそうに思いませんか。

事前に回答を準備できない番組で
先生のこの回答の仕方に感動します。

その先生が、
番組の終わりに、
「『こんな質問があるんだ!』と驚いた」といいながら、
藤井彩子アナウンサーの
「からあげ座を作りたいって女の子がいましたねえ」
という発言に、食い気味に・笑
「わかりますねー」と言って、
実は、
「私もねー、食パンが結構好きなのでね、
 食パン座っていうの、
 自分の中では、もう作ってるんですよ」・笑

「皆さんも是非作ってみてください」

自分の星座を持っていると一生ものだと。(*)

そのようなことが言える大人だからこそ、
唐揚げ座を作りたい、という質問に
きちんと答えられるのだなと思いました。

(*)
諸行無常なこの世ですが、

ひとりの人生からみると、
星座はほぼ変わることがない、
というのは、
思わず目が開くようなお話でした。
































「ラッキーカブトムシ」も記憶しておきたい、名回答・笑




永田美絵先生の素敵な回答その2






後日譚20181008







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