「人の命には 限りがあるが、物語の命は永遠だろう」
【監督作品】
ハウス HOUSE 1977年
Cherries were made for eating.
http://inatt.tokyo/article/398821810.html
転校生 1982年
自由で幸福な映画作りは永遠にフィルムに焼き付いている
http://inatt.tokyo/article/398821627.html
時をかける少女 1983年
深町君への想いを胸に秘め、ゴロちゃんを忘れて空ろなこの世に彷徨い続ける和子
http://inatt.tokyo/article/398821629.html
さびしんぼう 1985年
そんな光景を皆さんはなんとお考えになるだろうか
http://inatt.tokyo/article/398821762.html
漂流教室 1987年
もう会えない人たちのことを語り合う
http://inatt.tokyo/article/431511222.html
異人たちとの夏 1988年
てめえでてめえを大事にしなくて、誰が大事にするもんか
http://inatt.tokyo/article/398821197.html
ふたり 1991年
饒舌な監督はそれでもあえて語る気がないことをたくさん抱えている
http://inatt.tokyo/article/398821210.html
理由 2004年
http://inatt.tokyo/article/398821630.html
転校生-さよなら あなた- 2007年
人の命には 限りがあるが、物語の命は永遠だろう
http://inatt.tokyo/article/448836200.html
花筐/HANAGATAMI 2017年
さあ、君は飛べるか、僕は...
http://inatt.tokyo/article/476768897.html
海辺の映画館ーキネマの玉手箱 2020年
映画に自分を塗り込めた。羽臼屋敷のおばちゃまのように
http://inatt.tokyo/article/480250903.html
【TV出演など】
私のこだわり人物伝 植木等 世の中スイスイ無責任 第一回「引き」の喜劇人 2007年
日本人全員が、「無責任日本人」になろうとしていた時代なんですよ
http://inatt.tokyo/article/398822085.html
新宿ミラノ座の閉鎖(2014) 荒野の七人と時をかける少女 2014年
タイムリープしていたとしても当劇場は責任を負いかねます
http://inatt.tokyo/article/455739288.html
青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言 2017年
作家の真実は映画を観て感じるしかない
http://inatt.tokyo/article/453187435.html
目撃!にっぽん「それでも僕は映画を撮る〜監督・大林宣彦 80歳の決意〜」
君たちは俺の未来だから、がんばれよ
http://inatt.tokyo/article/462051557.html
クローズアップ現代 「大林宣彦監督 生きる覚悟」
表現で過去は変えられないが、
未来を変える力はあるんじゃないか。
http://inatt.tokyo/article/474660109.html
映画で未来を変えようよ〜大林宣彦から4人の監督へのメッセージ〜
カタルシスだけは絶対に描かないと、これが実はね、戦争映画を作ることの一番大事な点なんです。
http://inatt.tokyo/article/478738063.html
大林宣彦、全自作を語る
http://inatt.tokyo/article/478327615.html
大林宣彦監督追悼
http://inatt.tokyo/article/474517318.html
IMDb
Nobuhiko Ôbayashi
https://www.imdb.com/name/nm0643171/
【論点】(書きかけ)
・「映像の魔術師」ではなく、「言葉の魔術師」
・1960年〜1963年頃の暮らし
・企業の資金をふんだんに使い、広告を大量生産していた時代
・冒頭に映写機が回る音がする
さびしんぼう、花筐
・大林監督自身がナレーションを入れている
廃市
いれていない( さびしんぼう、花筐、彼のオートバイ、彼女の島 )
・幽霊映画、化け猫映画
理由、この空の花、野のなななのか、海辺の映画館
・吸血鬼映画・生の象徴
女性から血がたらり
・男はフラれる(あえていうと、尾美としのりはふられる・笑)
時をかける少女( 吾朗、深町も )
ふたり( 神永 )
・お墓
転校生-さよなら あなた-、花筐
・白塗りの日本兵の行進
・キノコ雲・キノコ雲を見る子ども
・エンディングがブギウギ
野ゆき山ゆき海べゆき、海辺の映画館
・何故懐かしいと感じるのか
尾道の風景(転校生)
下町の両親(異人たちとの夏)
・死の気配
青春〜の先生
・止まっている時計
廃市、野のなななのか
・撮影、画面作りの変遷
長野転校生の斜めに傾いた画面
・ブルーバック
ハウスのときから、現実の背景を使おうとしていない
晩年は、撮影場所が特定できると聖地化する現象を避けていたのか、どうか。
・作り物の背景
嘘だとすぐに分かっても物語中の必然と受け入れることができたり、できなかったり。
夏休みの旅行に出かける朝の青空と東京駅(ハウス)
浅草ビューホテルと花やしきが同じ方向に見える(異人たちとの夏)
インターナショナルスクールの背景の山の手の家並み(漂流教室)
・リアルな背景
・曖昧な結末
さびしんぼう
彼のオートバイ、彼女の島(カラーの現実、モノクロの現実)
・あえて語らないこと
実家との関係
任侠の世界
推測だけど、尾道にはその筋の方がたくさんいたのでは。
尾道は夢の町ではない
・自己模倣を避ける、変わろうとする
廃市が、
やりたかったことを素直に表現できたものなのかもと
思うときがある。
同じ場所をくるくる回るように、
同じような作品を繰り返し作り、
自己模倣を続ける作家もたくさんいるかもしれないが、
そうはならなかった。
20210130にNHK総合で1980年の山口百恵のファイナルコンサートが放送された。
さよならコンサートの数日後に大林宣彦監督が百恵ちゃん連れてカラオケ行ったら自分の歌忘れて歌えなかったそうです。
— 森泉岳土:『爪のようなもの・最後のフェリー その他の短篇』 (@moriizumii) January 30, 2021
興味深いお話。
嘘や間違いはないとしても、
山口百恵は本当に歌えなかったのか、歌いたくなかったのか、
内面は、外面や発言と同じとは限らない。
あるいは、
同じ画も語り方ひとつで別のものに見える、
大林宣彦監督らしい述懐に思えます。
( 「もう、忘れました」と言って断っただけの可能性も )
( 大林監督は、
山口百恵はスパッと芸能人を辞めたのだ、
と言いたかった、
思っていた、
のだと思う )